忘却の歌姫1





私が人前で歌うことをやめたのは、ずいぶん昔のことだった。
今でも歌うたびに、あのときのイヤな記憶がよみがえってくる。
でも私は、歌うことはやめられなかった。歌うことは私のすべて。
それをやめたら、私には何も残らない。
人々の記憶から私の存在が消え去った瞬間、私は忘却の歌姫となった。
それはずいぶん昔のこと………。





八十神高校に転入して、しばらくしてからのことだった。
放課後、時間のできたは学校内を散策していた。
裏手がちょうど山になっていて、都会にいた時通っていた学校とは全く違う。
何か面白いものがないかと校舎裏に回ったとき、はあるものを見つけた。
山へと続く小さな道。
薄暗くて、どこに続いているかも分からないその道は、の冒険心に火をつけた。
危なくなったら引き返せばいいか……彼はそう考え、山へと入る。
校庭に響いていた運動部の掛け声が小さくなり、鳥の声だけがする。
それに混じって聞こえてくる、美しい歌声。

(この歌声は…………?)

そう思いながら、声のするほうへ進んでいく
続いていた道の終着地は、小さな神社だった。
さびれていて、寂しく静かなところ。
その小さな境内に座って歌う、一人の少女。その周りには集まった動物たち。
歌っているのはも知っている少女だった。
同じクラスで、名前は確か
窓際の一番後ろの席に座っていて、いつも一人で音楽を聴いている。
転校初日、友達になった陽介に「あの子は誰?」と尋ねたとき、陽介はあまりいい顔をしなかった。

『アイツはっていって、いつも一人でいるんだよ。
ああいうふうに音楽ばっか聞いてて、周りからウォークマンって呼ばれてるよ。
地味だから目立たないしな。あんまり関わらないほうがいいぜ。』

彼はそう言っていた気がする。
けど今目の前にいる少女は、地味じゃなくとても輝いて見えた。
やさしい歌声。はこの歌を、どこかで聞いたことがあった。思い出せないけど。
しばらくの歌を聴いてると、彼女のそばにいた動物たちがの存在に気づく。

「………どうしたの、みんな?え、誰かいる?誰………?誰がいるの?」

少し怯えたような声がへと向けられる。
彼は潔くの前に姿を現した。の瞳が大きく開かれ、唇が動いた。

「あなたは確か、同じクラスの…………」

。えっと君は確か、さん………だよね?
窓際の席で、いつも一人で音楽聞いてる……。
でも驚いた。すごく歌がうまいんだな。」

は彼女の目の前に立つ。座ってを見上げる彼女の瞳は、少し動揺していた。
潤んだ瞳が彼をじっと見つめてる。動物たちがさっとのそばに寄り添い、を伺っていた。
彼らも警戒しているようだ。

「どうしてここに…………。」

「学校を探検してたら、偶然見つけたんだ。学校の奥に、こんなところがあったんだな。
涼しくて静かで落ち着けるし、俺も気に入ったよ。隣、座ってもいいか?」

コクンと彼女がうなずく。
の肩にはきれいな鳥がとまり、そばにいたリスが慌てて彼女の体をのぼり、鳥の隣にいく。
地面に座っていた狐は警戒するようにを見たあと、のひざの上に座った。
野生の鹿がから視線をはずさないようにしながら、の顔に自分の顔をすりつける。
は片手で鹿の顔に優しく触れた。

「すごいな。って動物に好かれてるんだな。」

「そう………かな。私もここに来たときは、動物たちに警戒されたよ。
でもだんだん、彼らと仲良くなっていったの。歌うの好きだけど、人前では歌いたくないし。
ここは誰もこないから、歌う場所に最適だった。」

彼女の言葉を聞き、はなんとなく悪いことをした気分になった。
ここはつまり、の秘密の場所だったのだ。
それを偶然、は見つけてしまった。

「なんか………ごめん。にとって秘密の場所だったのに、俺なんかが勝手に入り込んで。」

「ち、違うの!別に君を責めてるわけじゃ………。」

彼女の声がだんだん小さくなる。そのままうつむいてしまった。

「そう、か。じゃあさ、またさっきの曲、歌ってくれないか?
俺さっきが歌ってた曲、なんとなく好きだよ。の歌声もきれいだったし。」

うつむいていたの顔が、じんわり赤くなっていく。
しばらくして、彼女の歌声があたりに響き始めた。
木々の間から差し込んでくる日差しが、柔らかくて暖かい。
頬をなでる風が気持ちいい。そう感じるのは、がきれいに歌うからかもしれない。
先ほどまでの肩にいた動物が、いつの間にかの肩に移動していた。
彼女のひざに座っている狐は、相変わらず警戒しながらを見ているけれど。
歌が終わったあと、は小さく拍手を送る。

「その曲、小さいときにどっかで聞いたことがあるような気がするんだよな。」

が小さくつぶやくと、は空を見上げていった。

「………そうかもね。」

その言葉にいろいろな意味が詰まっていそうで、は首をかしげる。
陽介が地味だといった少女は、とてもきれいな歌声の持ち主だった。
は彼女のことがもっと知りたいと思う。

「あのさ、さん。ここのこともさんが歌を歌ってたことも誰にもしゃべらないからさ、
またここに来てもいいかな?」

夕暮れが近づいた頃、は隣に座っていたに尋ねた。
しばらくは考えていたけれど、少し笑って答える。

「誰にも話さないって約束してくれるなら。」

「もちろんだ。」

もにっこり微笑んだ。少しどきどきするのは、と二人だけの秘密を共有したからだろうか?
それともがそばにいるからだろうか?
どちらか分からないけれど、の中でに対するイメージが変わったのは確実だった。