戦人-イクサビト-
#01
ここは甲斐、つまりは武田信玄の治める土地。
民を思いやる信玄の心を、いつしか民は深く理解し、笑顔あふれる土地である。
武田信玄――――――名を晴信。猛将で、優しき心と甲斐の虎の異名を持つ男。
彼は全ての部下、いや、民にまで「お館様」と親しまれており、彼らをいつも暖かい目で見ている。
時には厳しく、時には優しく接するのが彼なりの流儀であった。
そんな彼にはただ一人だけ、目に入れても痛くないほどの娘がいた。
養女ではあるが、信玄は真の娘のように可愛がっていた。
名を、『』という。
太陽のように輝かしい笑顔、夜の闇のような漆黒の長い髪と大きい目、雪のように真っ白な肌。
まさに玉のような少女であった。この少女を部下も民も信玄と同様に尊敬し、親しみを持って接していた。
は誰にでも分け隔てなく接することができていた。そこがのいいところ。
ただ一つだけ、には不思議なところがあった………。
陰陽道の術を施すことができることである。
もともとは4歳のころ、信玄に焼けた戦場で拾われたのだ。
もしかしたらは、陰陽師の家の娘だったのかもしれない。
それが戦で家族を失い、一人残った可能性もないとはいえない。
そのころの戦場では、陰陽師をも起用していたのだから。
にはそんな記憶がないため、今となっては不明だが………。
それでも、の陰陽道は武田軍にとっても強力な戦力となっていた。
武田軍といえば、『紅蓮の二槍使い・真田幸村』、『真田忍隊の長・猿飛佐助』、
そして『甲斐の朱雀・武田』であった。
が『甲斐の朱雀』と呼ばれるわけは、鳥のような軽やかな身のこなし、朱雀のような真っ赤な戦装束、戦の折、
自分の髪に紅い鳥の羽をさして目印にしているからである。
そして今………。
「………伊達の小せがれが甲斐の地を目指しているとな?」
武田の屋敷では、軍議が行われていた。
「まぁ、そんなとこかな。
まだ奥州をたってはいない………が、甲斐を目指している準備はしている。それだけは確認しました。」
先ほどから信玄の前に片ひざをつく男、猿飛佐助であった。佐助は何日前かに奥州へと視察に出ていた。
奥州の独眼竜・伊達政宗が、こともあろうに甲斐へと進軍する動きを見せている………という情報を手に入れたからだ。
詳しく知るために、佐助は信玄の命で奥州へと発ったのである。
「………お館様、いかがいたしまするか?」
黙って信玄のそばに座っていた幸村が口を開いた。体が震えている。
怖いとかそういう感じではなく、奮い立つ自分をムリヤリ押さえ込んでいる………という感じだった。
そんな幸村を見て、信玄はニヤリと口の端をあげた。信玄の隣に座っていたは、信玄の決断を理解した。
いや、だけではないだろう。その場にいる全員が同じように理解したのだ。
伊達を向かえ討つ。
奥州 伊達領。
月が出ていた。雲にかすかにかくれ、朧月ではあったが今日は一段と綺麗だった。
「………政宗様」
「小十郎、見てみな。今日は朧月夜だな。」
政宗は腕組みして月をみていた。政宗の背後には、政宗が一番信頼をおく家臣、片倉小十郎景綱。
「……………。」
彼は黙って政宗の背中を見た。
「………お前の言いたいことは分かってる。何故甲斐に攻め入るか、だろ?」
不意にそういわれ、一瞬小十郎はぎょっとなった。
確かにそれは小十郎の聞きたかったこと。迷っていたのだ。聞いていいのかどうかを。
「………政宗様、連日の戦で馬も兵も疲れきっております。それなのに甲斐などという遠いところに………」
「なぁ小十郎、『紅蓮の二槍使い』って聞いたことねぇか?」
小十郎の言葉をさえぎり、政宗は背を向けたままつぶやいた。
「え?」と一瞬小十郎は思った。聞いたことがある。
紅蓮の二槍使い 真田幸村。
戦場では常に紅い覇気を持ち、燃えたぎる心で戦う姿。それはまるで紅い鬼神のようであると。
彼は燃えるような二槍を使い、何度も名のある大将の首をとっている。別名、虎の若子(わこ)。
「まさか殿…………」
「あってみてぇーんだ。その『紅蓮の二槍使い』にな。甲斐の地なんか俺にゃ関係ねぇ。
ただ…………そいつに会って、俺の力を…………」
試してみたい。
腕に力を入れた。考えただけでうずうずする。政宗はにっと笑った。
その姿を後ろから見た小十郎は頭を抱え込んだ。
こうなった殿は何を言っても聞かないのだということを、小十郎は知っているからである。
ただ、くやしいので少しは小言もいってみるのだが。
「あなた様はそのような私情で甲斐に攻め入ることを決断されたのですか。
全く、一国の主がそんなことでは天下など取れるはずがないでしょう。
兵は物の怪ではありません。体は疲れるし、疲れたら休養も必要とするのです。
兵のことを理解してやらない筆頭など弱者と同じなのではありませんか?」
小十郎にそういわれ、政宗はむっときたが、本当のことなので反論できない。
「HAN!!!誰も今すぐ奥州をたつわけじゃねぇ。たっぷり時間かけさせてやるさ。なぁ、『真田幸村』………。」
政宗はもう一度組んだ腕に力を入れた。
あれからまる3ヶ月がたっていた。
政宗は攻めてくる気配がない。ただの噂であったのだろうか………信玄は思っていた。
しかし相手は独眼竜。信玄の強敵・上杉謙信ほどではないが、注意しなければならない相手である。
縁側に座り、湯のみを片手に甲斐の虎は考えにふけっていた。
「お館さむわぁぁぁぁぁーっ!!!!!」
そんなときであった。
遠くのほうで馬鹿でかい声が聞こえたと思うと、すごい音を立てて真田幸村が遠くからかけてきたのである。
彼は信玄の姿を見つけると、必ずこういう行動に出るのである。信玄に絶対の信頼を寄せる幸村であるからこその癖。
駆けて来る幸村に湯のみを持ったまま、信玄は目を光らせた。次の瞬間――――――
「ゆっきむるぁぁぁぁぁーっっっ!!!!」
信玄は勢いよく自らの拳をふるった。
拳は綺麗に幸村の左頬にヒットし、幸村の体は宙を舞い、折角かけてきた道をまた戻っていった。
「まぁ、お父上ったら。ホントに幸村様がお気に入りのようですわね。」
しばらくしてから庭先で明るい声がした。信玄の娘、の声であった。
はくすくすと笑うと信玄の横に座る。
「おぉや。いつからそこにおったのだ?」
「そうですねぇ、お父上が物思いしておられた頃からですか?
考えごとをしているところの邪魔をしてはいけないと思っていたので。
そのとき、ちょうど幸村様のお声が聞こえたわけでして。」
は長い髪を揺らしながらまたクスっと笑い、笑顔を信玄に向けた。きっとさっきの二人の姿を思い出したのであろう。
「しかし幸村には困ったものだ。わしの姿を見つけると、すぐあのように駆けて来る。」
信玄はが笑うのを見て、照れたように笑った。自分の愛しい娘である。笑顔を向けられてとても嬉しい。
「それは幸村様がお父上に絶対の信頼を寄せているからこその証ですわ。
はそんなお父上を持てて、誇らしく思います。」
そんなたわいもない話をしていると二人は、こちらにまた駆けて来る青年を見つけた。
耳をピンと立てて、尻尾を振っているように見える幸村。
彼は信玄の前にひざをつくと、相変わらず元気な声で言った。
「お、お、お館様!!!お館様のこの拳、幸村、一生忘れはしませぬ!!!………ってえぇ―――――っ!?」
幸村の目がこれでもかというほど見開いた。
先ほどまでなかった姿、の姿を見たからだ。
ぼっ………と顔が燃えたかと思うと、ぴゅーっと頭から蒸気を上げる。
なるほど、どうやら幸村はのことが好きらしい。
「まぁまぁ左頬が赤く腫れてますよ。今濡れた手ぬぐいなどをお持ちしますからね。」
先ほどのやりとりを笑顔で見てたとはいえ、尋常じゃないほどに腫れあがっている幸村の頬をみて、は目を丸くした。
は慌ててたつと、ぱたぱたと濡れた手ぬぐいを取りにいった。
姫様らしくない格好………若草色の小袖の袖を振りながら。
「様!!!こ、これは………その……幸村、お館様に殴られるのは慣れているでござる!!!
そっ、そんなに心配しなくても…………ぁ、行ってしまわれた………。」
心配したをとめようとしたが、のほうが行動が早かった。そんな二人を木の上から見て笑う影。
「さすけぇ〜、見ておったな!?」
幸村は真っ赤に腫れた頬をさすりながら佐助をきっと睨んだ。
恥ずかしさで目には涙をためていた。
「旦那はさぁ、好きな子に過敏に反応しすぎちゃうんだよね。ま、こっちは見てて面白いけど♪」
すと………と幸村の横に降り立つと、ひらひらと手を振り笑顔で言った。
佐助は随分女慣れしてるほうなので、には幸村ほど過敏に反応しない。
一瞬黙っていた幸村だが、『好きな子』というフレーズに顔を真っ赤にさせて叫んだ。
「はっ………破廉恥でござるぞ佐助っ!!!!某が好きな子など………様など………っ!!!」
一人で空回りしている幸村。
幸村がのことを好いているということは、武田軍全員が知っていることなので、
あえて佐助も信玄もつっこみを入れない。幸村は、そんな武田軍には気づいてないようだけど。
そうしているうちに、濡れた手ぬぐいを持ったが戻ってきた。
「ゆ、幸村さ…ま…もっ…もってきましたよ…て、手ぬぐい…………」
息が切れてうまくしゃべられないでいた。一体どこまで取りにいったというのだ。
幸村は再び顔を真っ赤にしながらも、から手ぬぐいを受け取り、頬に当てた。
ひんやりと気持ちいい。にっこりとは笑った。
つられて幸村も笑い、佐助も信玄も笑顔になった。そんな家族みたいな3人がは大好きだった。
「……ところで佐助、伊達の動きが知りたいのじゃ。探ってはくれぬか………?」
ひとしきり笑ったあと、信玄の顔つきは、皆が慕うお館様の顔から甲斐の虎の顔へと変化していった。
悩み悩んだあげく、信玄の出した答え。伊達に探りを入れる………それだった。
「確かに伊達は甲斐へ進軍しようとしていた。現に準備までしていた。
しかし今日で俺様が探りをいれて、ここにもどってちょうど3ヶ月。
俺様もおかしいと思ってはいたんだ。大将からそういう命令が下ってくれりゃ、安心して仕事行けるしな。」
佐助はぽきぽきと指をならした。信玄はすまなそうな顔をして言う。
「では………行ってくれるか?」
「御意!!まかしときなって大将!!!」
そのセリフを残すと、佐助は黒い霧と共に姿を消した。早速奥州へと旅立ったのであろう。
幸村とは不安そうに佐助のいた場所を見つめた。
「お館様………もし伊達軍が進軍してきた場合、伊達政宗………の相手、某にさせていただきたいでござる。」
突然幸村が口を開いた。
「それは何故ですか?幸村様?」
信玄の変わりにが幸村に尋ねる。
「聞いたことがあるのでござる。独眼竜・伊達政宗。
某と同じ年齢でいながらも、蒼い覇気を放ち、誰よりも強く戦場を駆け抜ける男。
ただまっすぐに、ただ己の強さを確かめるために、そして………民のために戦い続けるまさに竜のような男。
某は、そんな男の相手をし―――――――」
己の力を試したい。
幸村の体がうずいた。どうにも体の振るえが止まらない。
幸村の闘争心に気づいたのか、信玄がニヤリと笑うと一言言い放ったのである。
「よい、幸村。伊達の小せがれと十分戦うが良い。そのために毎日鍛錬を怠るでないぞ?」
幸村はばっと顔を上げ、信玄の前に片ひざをついた。
「ありがたきお言葉にございます!!お館様っ!!!」
そんな二人を複雑な心境で見るだった。
もしかしたら伊達政宗という男、狙いは甲斐の土地、はたまたお父上の首ではなく………
幸村様と戦うことなのでは?
そんな気がしたから。
「まーったく、調べてみるといってみたものの………」
佐助は今、伊達政宗の城に来ていた。何をしているのかと天井の板に少しだけ穴をあけてのぞけば………
(コイツら宴会なんかしちゃってるよーっ!!!
ほんとに攻めてくる気あんのか?もう少し様子を見てみる………かねぇ。)
そう思いながら、佐助は足に隠してあるクナイをそっと取り出した。
「やーだねぇ、人が仕事してるっちゅーのに邪魔してくるヤツはっ!!!」
なるべく音を立てないようにして、振り返りざま、自分の背後にいる邪魔者を始末しようとした。
しかし相手もそれだけで死ぬはすがない。すっと音もなく飛びのいた。
「………へぇ、アンタ伊達の忍かい?」
佐助は目を細めて相手を見やった。黒い忍装束で体を覆っている。
佐助とは違った銀色の髪が、忍としての静けさを主張しているようだった。
口は黒い布に覆われていて見えないが、目だけ見れば分かる。
顔だちのととのった忍。同性からみてもその整い具合に声をあげてしまうであろう。
「………どこの忍だ?」
低い声がした。
「悪いがどこのって聞かれても、正直に答える忍なんていやしねぇーよ。」
佐助は笑顔で言った。
(さすがにここじゃ殺りあうのは不利だな。)
そう思うと、すばやく天井裏から伊達の忍を振り切り、城の屋根へと出た。
当然ながら相手も佐助を追いかけてくる。きらりと相手のクナイが光った。
「おいおいおいおい、勘弁してくれよなー。おとなしく帰らせてくれたっていーじゃないのよー。」
苦笑し、佐助は自分のクナイを握り締めると軽く空へと跳ぶ。
そして激しいやりとりが始まった。
佐助はスピードをあげて相手に襲い掛かるが、相手もただの忍ではない。佐助のスピードについてくる。
周りで見ていたら、多分クナイとクナイがぶつかるときに出る火花しか見えないだろう。
(ちっ………なんてヤツだ。俺様の速さについてこられるなんて………。これはちとやばくなーい?)
そう思っていたら、相手にわずかだが隙ができた。佐助はその小さな隙を見逃さない。
「はぁーいアンタの負けね♪」
佐助は先ほど生まれた隙を利用して、相手の喉元にクナイの切っ先を突きつけた。
「俺の姿みたからには残念だけど……死んでもらうわ。」
低い声を出し、佐助は伊達の忍を殺ろうとした。しかし―――――――。
どすっ!!!!
「………………!?」
鈍い痛みを太ももに受けた。見るとクナイが刺さっていた。
クナイの飛んできたほうを見やると、一人の忍がいた。紅く、裾の短い着物をきて、少し短めの髪をした女の忍。
(くのいちか。俺様も油断したな。てか………絶体絶命じゃーん。)
どさりとその場に座り込む佐助。前には冷たい目で見る伊達の忍。そして、その横にやってきたくのいち。
「………殺すんだったら早く殺せよ。」
しばらく時間がたったが、二人が佐助を殺す気配はない。
ただじっと見ているだけ。それが佐助にとっては不思議であった。
「何ですぐに殺さない?アンタら馬鹿か?」
佐助は苦痛にゆがんだ顔を二人に向けた。と、男が口を開く。
「猿飛佐助………真田忍隊の長………。」
「なんだ。バレてんじゃないのさ俺様。」
「お前の力、そんなものではないだろう?今は殺さない。俺は全力でお前と戦う。そして………勝つ。」
「だから何?」
佐助は少しイラついた。
奴の目が怪しく光ったのもあるだろうし、相手がイヤに冷静な態度をとるからであろう。
「俺は伊達忍隊長 鴉。次まで勝負はお預けだ。お前と戦う………もう少ししたらな。」
くっくと声が漏れた。
気持ち悪いぐらいに冷静で静けさを帯びた声だった。
佐助は相手をにらみつけたが、鴉の言った言葉を瞬時に理解した。
お前と戦う、もう少ししたら。
つまり………伊達がもう少ししたら攻めてくる。
「なーるほどね。やっぱそうか。いい情報もらったよ。そんじゃ俺様は………逃げさせてもらうわ!!!」
ぴゅっと口笛を吹くと、どこからともなく黒い大きな鳥が飛んできた。
佐助はすばやくその鳥につかまると、鳥は大空へと高度を上げた。
「………鴉、何で、教えた?」
鴉の隣に立っていたくのいちが、無表情で聞いてきた。
きっと伊達が攻めることを教えたのをいっているのであろう。
鴉はくっと笑うと、「つまらない戦はしたくないからな」とつぶやいた。
「そうか。」くのいちはそう答えるだけだった。
しばらくして、政宗が屋根を登ってきた。そして二人を見る。
「………お客はどこの誰だ?」
政宗はとっくの昔に佐助に気づいていたのだった。気づいていてあえて二人に任せたのである。くのいちが答えた。
「猿飛佐助という男………真田忍隊の長………」
「oh………甲斐のおっさんとこの飼い犬か。なるほどね、俺が一向に攻めてこないから不振に思ったな?」
政宗はにやりと笑った。鴉はそんな政宗の横顔を見ていった。冷たくぞくりとするほどの目つきだ。
「猿飛は俺が逃がした。あいつは俺の獲物だ。手を出すな。」
「Ahー、俺の獲物は真田幸村だけだ。んで暁、そのすました可愛い顔でお前は一体誰を狙ってるんだ?」
突然政宗は暁と呼んだくのいちを見やった。そのかわいい顔で何を考えてる?、と言いたそうな目をした。
暁は政宗から目をそらすと一言つぶやいた。
「………甲斐の朱雀。」
ふん、と政宗は鼻をならし、やはりかと鴉はつぶやく。
暁の瞳に怪しく光が灯り、今までに放ったことのない殺気を漂わせた。
「いたっ!!!」
縫い物をしていたは慌てて自分の指を見た。真っ赤な血が針を刺したところから出ている。
ぷっくりとした血を見て、は何だかいやにぞくりとする殺気を感じた。
(何か………いやな予感がする。もしや、佐助様が…………?)
外では夜の鍛錬に励む信玄と幸村の元気な声が響き渡ってる。
そんな声を風がさらりと拾っていった。
続。
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