舞姫


(森鴎外)






はその日、いつもより早く学校へ来た。
春はすぐそこまで来ているというのに、いつもよりも寒い朝。
身を震わせながら教室に入ると、の恋人であるはもうすでに学校へ来ていた。
彼女は分厚い本を読むのに一生懸命だった。

「おはよう。、朝から真剣に何を読んでるんだ?」

隣の席につき、は鞄を置きながら彼女の読む本の表紙を見た。
モスグリーンの表紙には、堅苦しい書体の文字。

「おはよう、。何を読んでるのかって?森鴎外の『舞姫』だよ。」

本から視線をはずさずには答えた。
は本の著者とタイトルを聞き、顔をしかめる。
森鴎外といえば、言葉が難しく、の中では絶対に読みたくない本だった。

「そんな難しい本を読んでるんだ………。」

「なんとなく、読もうかなーと思って。」

真剣な表情で活字を追う彼女の瞳は、に向くことはなかった。
確か舞姫といえば、ドイツに留学した主人公の豊太郎のが、
恋人のエリスを残したまま日本に帰国する話ではなかったか。
思い出すようには空を仰いだ。
その瞬間、隣でパタンと本を閉じる音がする。
視線を横に向けると、が苦笑を浮かべていた。

「なんかさ、舞姫の登場人物って私たちに似てるのかもね。」

「どういうことだ………?」

彼女の言ってる意味がわからなくて、は眉をひそめた。
は少しだけ目を伏せると早口で呟く。

「だって、は3月になったら都会へ戻るんでしょ?私をここに残して………。
エリスを残して、一人だけ日本に帰国した豊太郎と同じだよ………。」

その言葉に、はハッとした。
自分だって、を残したまま都会に戻りたくはなかった。
けれども、3月になったら海外に行った両親が戻ってくる。
ずっと堂島遼太郎の世話になるわけにはいかないのだ。
でも………。

「でも俺は、豊太郎と同じじゃないよ。
都会に帰っても、休みの日にはちゃんとに会いにくるから。
電話だってメールだって、たくさんする。毎日する。
だから俺たちは………舞姫とは違うよ。」

ににっこりと笑いかける。
そう、俺たちは舞姫に出てくる豊太郎やエリスとは違う。
離れていたって、心はいつも一緒だ。
必ず………会いにいくよ。は握った彼女の手に、そう誓うのだった。