私は元親様のため、存分に働くと心に決めた。
だから
死んではならない…………っ!!!
強キコト、鬼ノ如ク。
「毛利元就が、ついに中国を平定したそうだな。」
元親が障子にもたれかかって静かに言った。
は囲碁を打つ手を止め、すっと静かに視線を元親に移す。
「はぁ、そのようでございます。
毛利殿は智将のうえ、中国を平定するのはたやすきことでござったでしょうな。」
再び、囲碁を打つ手を動かす。元親はを見て、目を細めた。
四国の鬼・長曾我部元親。
昔は、それはそれは男らしくなく、姫若子と呼ばれるくらいなものだった。
その頃の元親は、どこぞの女子よりも肌が白く、細い体をしていた。
物腰は柔らかく、いつも座敷に引きこもってばかり。
しかし13を過ぎたあたりから、長曾我部の当主が病で亡くなり、元親が当主となった。
彼は長曾我部の当主として、鍛錬にも姿を見せるようになる。
今まで鍛錬をしていなかったものの、生まれついての素質のせいか、めきめきと強くなっていった。
人は彼を、四国の鬼と呼ぶ。
が元親に仕えることとなったのは、それから2年先のこと。
四国を平定する上で、の家である家は、長曾我部の傘下に入ることをすんなりと受け入れた。
この時、は初めて元親と会った。あのときのことをよく覚えている。
「お前が家の娘、か?」
「はい。」
元親は自分の前に正座して、丁寧にお辞儀するを、頭のてっぺんからじーっと見ていた。
「お前、聞けば女子のくせに武門に通じていて、なおかつ頭が切れると聞く。
どうだ、俺の右腕となってくれねぇーか?」
は頭を上げ、元親の顔を見た。元親の顔には輝かしい笑顔があった。
にっと彼女は笑うと、再び深々と頭を下げた。
「仰せのままに、元親様。」
あれから早、4年。
四国が平定されたことで、この国にもさまざまな余裕が生まれていた。
「ところで、毛利が中国を平定したことで、諸国は何か言ってるか?」
「そうですね。
まず、日の本の統一のため毛利軍の水軍を狙っていた豊臣秀吉が、ぴたりと動くのをやめました。
毛利がらみで、私の耳に入っている情報はこれくらいでしょうか?」
ぱちり。
はそう静かに言いながら、星に黒の碁石を置いていく。
元親は「豊臣秀吉…………か」とつぶやいた。
確かに秀吉は、毛利が中国を平定している間に中国に攻め入り、毛利水軍を手に入れようとしていた。
しかし、毛利も馬鹿ではない。予想以上に早く中国を平定したのである。
これには秀吉もあきらめるしかなかった。
今毛利にかかっていけば、中国の全ての勢力が一斉に豊臣軍へと力を向ける。
そして、戦うはおそらく…………海の上。狭い厳島で戦うのはあきらかに不利だ。
相手は日の本の一の水軍。負けはあきらかだろう。
……となると、秀吉が次に狙うは――――――――。
「おそらく、秀吉の次の狙いは我が水軍。
秀吉の軍と我が水軍を持ってすれば、毛利水軍など、お手のものでございましょう。」
はつぶやいた。ぴくりと元親が体を反応させる。
豊臣に力を貸すなどまっぴらごめんだ、そいういうふうにぶるっと元親は肩を震わせた。
その様子に気付いたが続ける。
「ただの豊臣軍を退けることなど、たやすきこと。
しかしあの竹中半兵衛という男がいる今、戦もなかなか難しいものになるでございましょう。
それでも戦をなさいますか?元親様。」
返事はない。
いつもならすぐさま元気な返事がする。少し不安になり、は碁盤から目を離した。
なんと元親は……………眠っていた。
「お疲れなのでございましょうな。」
ふっとは優しい目をした。
ここのところ、毛利の動きに元親は神経を研ぎ澄ましていた。
元親と毛利元就は最大のライバル。いつ相手が攻めてくるか分からない。
ましてや詭計智将とうたわれる毛利元就。
何やら奇策を使ってくるのではなかろうかと、も考え込んでいた。
元親もそのせいであろう。寝てないのだ。
いつか元親は言っていた。戦は自分の力を試す場所でもあり、同時に…………
国の仲間を守るための戦である
と。
おそらくまた、仲間をどう守るか考えていたのであろう。
しかし感情を表に出しすぎ、判断を誤れば、
取り返しのつかないことになってしまうということも、は知っていた。
「元親様、あなたは少し、お優しすぎる…………。」
は元親の穏やかな寝顔を見て、一言つぶやいた。
それから10日のこと。突然四国に豊臣秀吉の使者がきた。
これはが予想していたとおりのことだった。
毛利をおとすため、秀吉が手を組もうと言い出してくるかもしれない、彼女は予想していたのだ。
秀吉の使者は広い部屋へと通された。そこには元親、のほかに、麻生十夜楓と呼ばれる人物がいた。
彼は昔から長曾我部に仕えてきた家の嫡男であり、元親の幼馴染であった。
武門に秀でてるほか、ほどでもないが、頭も切れる人物でもある。
「長曾我部元親殿。某は豊臣秀吉の下から参りました、渡部十五郎義光でございます。
なにとぞ、お見知りおきを。」
元親の正面に座って、深く頭を下げる渡部。それを見た元親はけらけらと笑って頭をあげさせた。
「で、渡部さんよぉ。あんた、鬼の住む島に何しにきたんだ………?」
ぐい…………と顔を近づけて元親は言った。渡部はすこし眉をひそめたが、淡々と答える。
「我が豊臣軍は、中国の毛利水軍を狙っていたのはご存知ですな?
しかし毛利が中国を平定した今、我が軍ではどうにも太刀打ちできない。
そこで長曾我部軍と我が軍が手を組めば…………毛利など簡単にひねりつぶせる。
秀吉様が天下をとるためには、どうしても毛利水軍が必要なのだ。
長曾我部殿が我が軍に手を貸していただけるのなら、
我が殿も最高の待遇で迎え入れようとおっしゃっておりました。
この同盟、元親殿、是非にお受けくださいませ。」
渡部はいっきにしゃべった。元親の顔にはさっきまで笑顔があったのに、今や真剣な顔つきである。
「………もし、俺がその話断ったら、お前ら力ずくで俺の水軍ぶんどる気だろう…?」
一言、冷めた声で言った。元親の後ろで、きりっとした目で渡部を見ている。
その視線に気付いたのか、渡部は元親をまっすぐ見て言った。
「元親殿が同盟を断られたら、そのつもりである。今度会うときは敵同士。
しかしお互い犠牲は出したくないはず。どうか、この同盟お受け取りください。」
もう一回、深くおじぎをする渡部。
元親はゆっくりと立つと、腕を組んだ。そのときにちらりとを見る。
ふぅーと息をついて言った。
「俺はハッキリ言って、秀吉のために手を組むなんざまっぴらごめんだ。
だが…………犠牲が出ないんだったら、また別の話。でもなぁ、俺はちぃーと頭が悪いんだ。
だからここはウチの軍師様に決めてもらうよ。
おい、さっきから何か言いたそうな顔してるが?」
やはり元親様。気付いたか…………。
は苦笑いした。そして、まっすぐ渡部を見て言う。
「渡部殿、私は元親様の家臣、と申す。この同盟の件、しばらく時間をくれぬか?
他の家臣とも話しあってみたいし、長曾我部が置かれている状況も少し整理したい。
決まり次第、早馬を飛ばす。
しかしもし我が軍が同盟を受けなければ―――――容赦はせぬ、と秀吉殿にお伝えいただきたい。」
鋭い目つきが渡部を射抜いた。―――――――鬼の頭。
半兵衛様の言うとおり、やはり一筋縄ではいかないか。
渡部はそう思った。ここで粘っても答えは同じであろう。
半兵衛からはこのような返事が来た場合、引けといわれている。
「それではそのように我が殿に伝えましょう。
お時間いただきまこと、ありがたきことにござった。」
「こちらこそ、わざわざこのような遠いところにおいでいただき、ありがたきこと。」
渡部の礼に合わせて、と楓が礼をした。元親は腕を組んで見ているだけだった。
「気にくわねぇーな、秀吉も、あの使者も。」
渡部が帰ってから、しばらく沈黙の続く部屋の中だったが、元親が姿勢を崩してぶっきらぼうに言った。
楓は「ぶっ」と噴きだす。
「元親ぁ、お前結構失礼な態度とってたよな。当主がそれじゃいけないんだぞ?」
腹を押さえながら笑っている。元親は「テメェ」とか言いながら楓につかみかかった。
そんな中、ぼんやりは考えていた。
(断れば秀吉がせめてくる。武田は今、今川と交戦中。
しかし今川が落ちるのは時間の問題だろう。
武田はその後、秀吉を攻めるだろうか。いや、あの武田信玄。まずは探りをいれるだろう。
では秀吉と因縁深い織田は…………?
織田と今交戦してるのは確か、明智光秀。あぁ、時間がかかりそうだな。
ということは…………秀吉に返事をする猶予は最低でも1週間がいいところだろうか?
犠牲は出したくない………が、できれば………いや、絶対秀吉と手を組みたくない。
きっと秀吉は長曾我部を使うだけ使って切り捨てるだろうからな。
そいういう男だ、秀吉は。では、長曾我部が生き残る手段は………。)
「おい、?きいてんのか?お前、主君を無視するんだったらぶっとばすぞ?」
目の前で元親の手がひらひらとしている。
ハッとした。深く考えすぎたみたいだ。元親はの反応に、あっけらかんとしている。
そして、ずい、と顔を近寄らせて尋ねてきた。
「ところで、秀吉と手を組むかもって話だが………?」
「ぁ、そんな感じの言い方でしたよね、殿。まさか本気で手を組む気ですか?
私はいやですよ、あんな猿と…………。」
楓は想像したのか身震いした。
元親はのんきに「俺と一緒の考えだな」と呟いて、楓の肩に手を回した。
はそんな二人を見て、ふっと笑って言った。
「まさか。私だって秀吉は嫌いにございます。だから…………」
急に顔つきが変わったに二人は驚いた。
あぁ、これこそ鬼の頭、軍師の顔だ。仲間を守るために、必死に知恵をしぼっている。
元親は目を細めた。
はそんな元親をまっすぐ見て言い放った。
「毛利と同盟を組みます。」
凛とした声が、部屋中に響き、元親はにぃっと笑った。
「そうだな、それしかないよな。
アイツは俺のこと嫌いかもしれないが、俺はアイツのこと、そんなに嫌いじゃないしな。
、行ってくれるか?アイツんとこに。」
「はい、私が元就様のところへ行き、いいお返事を持ち帰りましょう。」
元親の前で深く礼をした。そんなの頭に、大きな手がかぶさった。
元親の手だ。
「、お前の頭、存分にふるってこいよ。」
「鬼の頭、しかと働いてみせましょうぞ。」
季節はにわかに夏の訪れをつげていた。
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