強キコト、鬼ノ如ク。
天候は……最悪な嵐。
はすぐさま自ら馬にまたがり、野をこえ、海を渡り、中国毛利領へと入った。
急にきた嵐のせいか、予想以上に日数をくってしまった。
びしょぬれになりながらも高松城に入ったのは、が出発してから3日後のこと。
「長曾我部よりの使者殿、どうぞこちらへ。すぐに我が殿が参られまする。」
を迎えてくれ、大広間に通したのは、人のよさそうな老人であった。
名前は知らない。だが、老人といえども、彼の放つ覇気は相当なものであった。
「こんな嵐の中を、しかも女子がくるとは………。
そなた、相当の根性があるとお見受けいたします。」
老人はに手ぬぐいを渡しながら笑顔で言ってきた。
きっとこの手ぬぐいで体を拭けということだろう。は髪から着物までぐっしょり濡れている。
「いえ……何しろ火急の用があったのですから。手が空いてるのは私くらいしかいなかったのですし。
それはそうと、そなたも、もの凄い覇気をお持ちのようで。」
渡された手ぬぐいを受け取り、結っていた髪をほどき、丁寧に髪をふく。
老人は目を丸くして声を上げた。
「おや……某の覇気を読み取るとは。なかなかの御仁である。」
同時にはっはっはと大声で笑った。
そして座敷の外へと目をむけ、一言「殿が参られました」とつぶやき、
そのまま奥へと引っ込んでしまった。
は慌ててほどいた髪を結いなおし、きちんと座った。
襖が開き、物腰の強いすらっとした青年が入ってきた。華奢な体に緑の服をまとっている。
青年は美しい顔つきでこちらをじっと見ている。
これが中国を統一した毛利元就か……は思った。
しかし、目だけは何とも冷たい。まるで氷のようであった。
いや、氷のように冷たい目ではあるが……私の思い違いであろうか。
その中に、なんとも暖かなものを秘めているようでもある。
仮面をかぶっているような………。
「そなたが長曾我部からの使者か。
ふん、女子をよこしてくるなど、我もなめられたものよ。」
吐き捨てるように元就が言った。
は一度礼をし、目の前に座る元就を直視した。
その瞬間、目があった。背筋がぞくりとした。
「元就殿、先日我が殿の元へ、豊臣秀吉から使者が参りました。
使者は毛利水軍を手に入れるため、この長曾我部に力を貸せと申してきました。
しかし、それは詭計智将と謳われる元就殿なら予想していたはず。
そして、次に長曾我部がどう動くのかも。
何もかも、あなた様の予想していたとおり………。違いますか?」
元就をまっすぐとらえ、はいい放った。
今まで顔に笑みなど浮かべていなかった元就は、ふいにくっと笑った。
「ふん、そなたも頭の切れる奴だな。ついに動きよったか豊臣め。
我の予想通り、長曾我部に同盟を持ちかけてくるとは。
全て計算の上…………。そして、長曾我部は我に同盟を持ちかけるか。」
くっくっくと静かな声が座敷に響き渡る。
ここからが勝負だ。何としてでも、毛利と同盟を組まなければ。
そうしなければ、長曾我部はこの先生きていけない。
「やはり予想しておられましたか元就殿。ならば話は早い。
我が長曾我部と同盟を組んでいただきたい。」
すっと、は頭を下げた。頭を下げたまま、元就の返事を待つ。
どんなに長くかかろうと、覚悟を見せなければ。
はそう考えていた。
一方の元就は、目の前で頭を下げたままの小柄な体を見ていた。
まだ少女の域を脱してすぐといったところだろうか。
やけにほっそりしているし、肌も色が白すぎる。
それでも、尋常でないほどの覇気を放ち、肝も据わっている。
本当に女子であろうか。元就はもっとじっくりとの顔が見たかった。
しばらく沈黙が続いたあと、元就は静かに口を開いた。
「そなた……名はなんと言う。」
頭を下げたまま、は少し動揺した。返事を待ってたはずなのだが。
考えても仕方がないので、そのままの体勢で己の名を告げた。
「……にございます。」
「と申すか。、顔を上げよ。」
元就からそういわれ、はそっと顔を上げた。
じっと顔を見てくる元就。表情は、何か言いたそうであった。
には元就の考えていることが分からない。どうすればいいのだろうか。
彼女は混乱し始めていた。こんなこと、初めてであった。
どんなに混乱しても、必ずの頭は答えを見出せていた。しかし今はどうだ?
どうすればいいのか、頭を回転させても、一向に答えは見えてこない。
そしてさらなる混乱が生まれてくる。
これでは泥沼状態ではないか。どうすればいい……?
沈黙を破ったのは、元就であった。
「……我が毛利と同盟を組みたいと申すか。ならば一つ条件がある。」
「条件、ですか?」
条件という言葉に、はすぐさま反応した。
まさか……元親を差し出せというのではないだろうか。
頭は徹底的につぶす、それが元就のやり方だ。
しかし、の考えとは裏腹に、条件は意外なものであった。
「そなたが我が毛利軍に下れば、同盟を組んでやろう。」
にっと元就が笑った。
はその言葉を聞き、時間が止まったように思えた。
しばらくして、あくまで冷静に、押し殺したような声で元就に告げた。
決して動揺を見せてはならない。
「元就殿……それはこのが、長曾我部元親の家臣と知っての申し出か?
私に裏切りのような行為をさせるとは。我が主は、元親様以外にありえぬ。
元親様は私に絶対の信頼を置かれている。
ゆえに、我が殿を裏切らせる報酬が毛利との同盟というのであれば、そんな同盟など長曾我部にはいらぬ。
正々堂々豊臣と戦い、散ってみせようぞ。来るだけ無駄であった……。失礼いたす。」
すくっとは立つ。
もう一度元就を睨みつけようと顔をみると、かすかに寂しそうな顔を見せたように見えた。
気のせいだとは思い、まっすぐ襖に向かって歩いた。
しかし、毛利の兵が襖の前に仁王立ちになり、を外に出そうとはしない。
「どいてくれぬか?」
そういっても、ふるふると首をふるばかり。
なぜ邪魔をするのだ。は少し頭にきた。
その時、後ろに人の気配がして、すぐさまは振り返った。
元就が立っていた。彼女は少し警戒したが、相手に殺気はない。
元就は目を伏せ、静かに言う。
「……そなたの忠義と度胸、しかと見届けた。我が毛利軍は、長曾我部軍と同盟を組もう。」
その瞬間、ハッとする。
(…………まさか、試された?)
陸の体から力が抜けた。何はともあれ、使者の役目は果たした。
元就に分からないように、ほっとため息をつくと、深々と元就に頭を下げた。
その姿を、元就はじっと見つめていた。
毛利との同盟を成立させた今、は早く国に帰らなければならなかった。
戦に備えて、いろいろ準備があるだろうし、落ち着いた場所で策も練りたい。
しかし、雨脚はひどくなる一方だった。
元就はせめて雨が弱くなるまで待てと制止したが、陸はそれを振り切り、馬にまたがり四国へと走った。
その後ろ姿をじっと見つめ、元就はつぶやく。
「……か。我はそなたが……」
欲しい。
声は、ふりしきる雨の音により、さえぎられた。
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