強キコト、鬼ノ如ク。
が、中国毛利領から四国に帰りついたのは明け方であった。
その頃にはどしゃぶりだった雨もぴたりとやみ、雲の隙間から朝日がさし始めていた。
ぐっしょりと濡れたは体が冷え切っており、城につくと同時に馬から転げ落ちた。
守護兵の声を聞きつけ、元親と楓、その他数人の武将が飛び出してくる。
元親や楓が慌ててを拾い上げると、はすごい熱を出しているのが分かった。
目はうつろとなり、冷え切っていた体かと思うと、急にほてりだしたのだ。
顔も真っ赤になっていく。
元親はぐったりとしたを抱いたまま、恐ろしい剣幕で屋敷に走っていった。
薬師を呼べ、水をもってこい……!!!
元親や楓の声が城内に響き渡り、明け方からばたばたと長曾我部のものたちが城内を行きかう。
そんな中でも、のうわごとは毛利との同盟のことであった。
「、てめぇー今熱出してやがんだ。少し黙ってな!!」
元親が言っても、は繰り返し口を開く。
「元親様、毛利との同盟、決議いたしました……。
豊臣と同盟は結ばぬと、そう……早馬を飛ばしてくださりませ……」
「分かったから!もうしゃべるなっていってるだろーが!!!」
キッとを睨むと、さっきまでうわごとを続けていたのに、今は穏やかな寝息を立てていた。
あの、毛利の地へと行ったのだ。気を張らないわけにはいかないだろう。
それに、帰りも高熱を出しながら帰ってきた。
なんて奴なんだ。主君のためなら、自分の体のことも気にしないのか?
元親はいつになく優しい目をして、ぽんぽん、と頭をなぜてやった。
一体今はどんな夢を見ているのだろう。
その整った顔つきは、少し緩んでいるように元親には見えた。
秀吉が攻めてきた。
戦場となった四国の海は真っ赤な色。夕焼けの空と海の血の色。
焼ける屍の死臭にむせ返る。
転がる屍は豊臣と、毛利と、そして長曾我部。
自分の目の前に横たわるは………主君、元親のもはや動かぬ体。
後ろで秀吉が高らかに笑っている。
いやだ……こんなの……負けた………?
イヤダ、イヤダ、イヤダ、イヤダ、イヤダ……元親様……。
「元親様ーっ!!!!!」
は自分のすさまじい叫び声で飛び起きた。
戦場ではなかった。見覚えある部屋。自分の部屋だった。
彼女の思考はしばらく止まっていたが、だんだんと動いていく。
元就の制止をふりきって雨の中を馬に乗り、四国へと急いだ記憶がよみがえってくる。
どうやら無事についたみたいだ。
乗っていた馬が優秀だったのか、の命がなくとも自分で帰り道を覚えていたのだろう。
意識のないを乗せたまま、長曾我部の城へとひたすら走り続けたのかもしれない。
ふぅ……と息をついたとたん、ばたばたと廊下を駆けてくる人物の足音を耳にした。
一人でなく、二人の足音。
元親様と楓であろう、は思う。
「!!!俺を呼んだか!?」
「目が覚めたのですね、殿!!!」
すぱんと襖が開かれ、二人の男が飛び込んできた。
の予想通り、元親と楓。
「。もう大丈夫なのか?疲れただろう、苦労かけたな。すまねぇ……」
いつになく元親はに優しい。
は布団からそっと出て、きちんと正座すると、元親の目の前でゆっくりと礼をした。
やけに弱弱しく見える。
しかしそれとは裏腹に、の引き締まった声が部屋に響いた。
楓も、元親も彼女を見る。
さっきまでの弱弱しいではなかった。
鬼の頭そのものが帰ってきたのだ。
きゅっと口を結び、目には先程にはなかった輝きがあった。
「元親様、私は一体何日寝ていたのでしょうか?」
「がこの城についてからまる3日。
お前のことだから、その間に何か動きがあったのか知りてぇーんだろ?」
元親がいたずらっぽく笑う。「はい」と、静かにはそうつぶやいた。
3日……。相手が動くには十分すぎる時間。豊臣は動いたであろうか。
「殿。豊臣はいまだ動いておりませぬ。
不気味なくらい沈黙を守ったまま。嵐の前の静けさってやつでしょうか?」
楓がぼそっとに教えた。
動かぬか。確かに、今、下手に動けば同盟を組んだ鬼と智将に喰われる。
それが分からないほど、豊臣も馬鹿ではない。
今頃竹中半兵衛が策を練っているころか、秀吉が秘密裏に兵を集めているか……。
どちらにしても、あの竹中半兵衛という男、やっかいだ。
とその時………。外が騒がしくなった。
何事であろう、三人がそう思って外を見ようとしたとたん、元親の家臣が走りこんできた。
「大変でござりまする!!!
中国の毛利殿が何の前触れもなしにやってきて、軍議を開きたいと……」
元親はすくっと立つと外を見た。
淡い緑の着物で身を包んだ男が栗色の馬に乗って、元親を見ていた。
いつもどおり、顔には氷の仮面が張り付いている。
元就を見下ろしながら、元親がに尋ねた。
「アイツ、何で連絡よこさなかったんだと思うか?」
「……それはきっと、秀吉に中国の主が不在であるということを知られるのを避けたからだと存じますが。」
正座したままは淡々と述べた。
腕組みした元親が彼女の言葉のあとにすぐさまふりかえり、こう言う。
「じゃあ、俺はそんな奴と軍議をするべきだと思うか?」
「四国が大事だと思うなら。」
静かには答えた。
しばらく沈黙が続いた後、元親は元就を座敷に通すよう家臣に伝えた。
元親・楓の二人はすぐに元就が通されたであろう座敷へと向かう。
はきちんとした着物に着替えると、急いで自分の部屋を出た。
ちらりと外を見ると、元就が馬からおり、座敷へと通されるところであった。
(私たちが勝つためには、毛利元就、あなたの頭が必要だ。)
目を細め、陸はみながそろう座敷へ向かい、すっと襖を開け、入っていった。
「そなた……生きていたか。」
一瞬、元就の氷の仮面が声と同時に和らいだように見えたが、は気にしなかった。
いつもの冷静さを保たねばならない。軍師たるもの感情をあらわにしてはいけなかった。
「豊臣との戦を終わらせるまで、死ねませんから。」
ぼそりと一言言うと、元親の隣にきちんと座った。
の態度に楓も、あの元親でさえも苦笑いしている。
元就は陸の返答に怪訝な表情を浮かべているだけだった。
そんな元就をよそに、は口を開く。
「今日のわざわざのご訪問……軍議を開きたいというからには、何か策がおありなのでしょう、元就殿?」
単刀直入に聞くと、元就は元親を見る。それはいつものような、冷たい目をしていた。
それでも元親はたじろぐことなく、じっと元就の目を見た。
ゆらぐことのない瞳。決意の現れだろうか………。
「……長曾我部よ、貴様の軍、どのくらいの規模だ?」
「そーだなぁ。最低でも2万はいる。
かき集めれば、3万いくかいかないぐらいか……?でもそれが何なんだよ。
お前のことだから、力で推すのは嫌うだろーが。」
ぶっきらぼうにつぶやく元親の前で顔を伏せ、「3万か」と一人でつぶやく元就。
元親が何を言っても何も答えないので、彼は「あぁ!?」と大声を出している。
豊臣に勝つにはまず、やつらの強力な兵力を分散させなければならない。
豊臣軍本体と先鋒隊の2つに。元就も同じように考えているだろうか。
はそう思った。いや、おそらく元就の性格からして、その先まで読んでいる可能性も高い。
どちらにしても、一つにまとまったままの豊臣軍と正面からぶつかっても、勝ち目はないだろう。
そして、重要なこと。この戦の要は……そう、厳島。
狭い厳島で船を自在に操ることは困難だ。
「長曾我部よ。この戦、勝つためにはまず豊臣軍を二分するのがよかろう。
先鋒隊を厳島に誘い込み、海上を封鎖し殲滅する……。
豊臣にとっては痛い兵の消失となるだろう。、そなたの意見も聞きたいが……?」
やはり元就もと同じ考えを持っていた。
彼女はまっすぐ元就をとらえて言った。
「私も元就殿の意見に同意です。
おそらく先鋒隊は、つつけばすぐ挑発に乗ってくると見受けられます。」
「ちょ……待てよ!!なんでそんなことが予測できるんだ?」
途中で元親が慌てて会話に割って入ってきた。
そんな元親を、元就はさらに冷たい目で見て、ぼそっとつぶやいた。
「四国の主のくせに何も知らぬのだな……。」
これにカチンときた元親は、「てめぇ……!!!」と一言い、元就に殴りかかろうとした。
横にいた楓は元親を慌てて止める。楓に体を羽交い絞めにされて、元親は動けなくなった。
「ふん、馬鹿なやつよ。血の気の多い輩は、いつかその身を滅ぼす羽目になる。」
涼しい顔の元就がつぶやいた。
この言葉には、気の強い元親も一瞬ひるんだ。素直な元親。だからこそ、家臣に慕われるのだ。
はしゅんとしている元親に言った。
「豊臣軍には殿のように血の気の多いお人がいるようで。
噂と言うものは怖いもので、こんな陸から切り離されたような場所にも流れ着くものでございます。」
『殿のように』という言葉がしゃくに障るが、相手がなので元親は何もいえない。
ぶすっとした表情をして、どっかりと座りなおした。
は言葉を続ける。
「特に豊臣軍の先鋒隊、真下和利様、佐川森千代様、天羽差後介様は血気盛んなうえに、
手柄を立てたくて仕方がないというお噂。
我らが挑発に乗ってくるのは目に見えております。おそらくそのお三方に、文を送れば……」
「奴らは必ず厳島に現れる……。」
の変わりに元就が言った。くっくっくと少し潤みを帯びた声が漏れる。
楓はこの二人に感服してしまった。ちゃんと豊臣の内部事情を取り入れ、策を立てている。
しかもこの二人、二手、三手と先のことを予測しているのである。これには舌を巻いてしまった。
しかし、ある重大なことを言っていない。厳島に誘い込むということは……。
誰かが犠牲にならなければいけない
ということである。我慢ならず、楓がに聞いてしまった。
「えぇと……殿。厳島に豊臣の先鋒隊を誘い込むんですよね?
それって……誰かが犠牲になるってことですよね?」
はただ、黙ったまま顔を背ける。同時に元親の目がカッと開いてを見る。
そして、今までにはないくらい声を荒げた。
「犠牲……だと?
、お前まさかウチの軍から、誘い込むための犠牲を出すのは仕方ないって考えてるのか?」
「………。」
元親に問われて、は何も答えられなかった。
その言葉通り、犠牲を出すのは仕方ないと思っているから。
自分たちの幸福のためなら、少しの犠牲は仕方ない。
皆、元親を慕ってくれている。元親を守るためなら、喜んで犠牲になってくれるであろう。
自身、そうだから。
「……否定しないってこたぁ、そう思ってるってとらえていいんだな。」
すごく怒っている、はそう思った。
元親の顔を見たくない。はそのままうつむいてしまった。
「殿………。」
楓がつぶやく。楓には、の心のうちが分かるから。
同じ元親の家臣として。そして、元親の心のうちも分かる。幼馴染として。
一瞬にして、その場の空気が不穏な空気に変わってしまった。
誰も何も言わない。元就はじっと何かを考えている。
も、表情さえ見えないが、ぐっと唇をかみ締めているのが分かった。
できれば犠牲など出したくはない。出したくないが……他に方法があるというのか。
しばらくして、元親がすっと静かに立った。元親の心うちは怒りでいっぱいであった。
そのまま何もいわずに座敷から出て行く。も、楓も、元親も見らずに。
これほど心の痛いことなどあるだろうか。
何もいわず、見もしない元親に、はひどく傷ついた。
しかし一番元親を傷つけたのは、少なからず自分であろう。
は血がにじみそうなほど、さらに強く唇を咬んだ。
そんなを、じっと見つめる氷の瞳。
その瞳を持つ青年はから視線をはずすと、静かに部屋を出て行った。
あとに残ったのは唇をかみ締めたままのと、痛々しい表情を浮かべる楓だけであった。
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