堂島家の台所で、フゥとは息をついた。
切りかけの野菜に目を落とし、壁にかけられた時計を見る。
もうすぐ5時になりそうだった。カチン、カチンと秒針が時間を1秒ごとに刻んでいく。

5月3日。世間ではゴールデンウィークと呼ばれる日の初日。
本当だったら今頃、堂島や菜々子、と一緒にキャンプへ行っているはずだった。
しかし実際はキャンプなど行っていない。今こうして、台所に立っている。
理由は簡単。堂島に仕事が入ってしまったから。
新人が体調を壊し、その人が抱えていた事件が重要なものだったのもあって、
堂島が仕方なく休みを代わったのだ。堂島にゴールデンウィークはなくなった。
それを知ったのは、が辰巳ポートアイランドから帰ってきてすぐのこと。
夜遅く家に帰り着けば、暗い顔をした菜々子が居間に座っていたのだ。
泣き出しそうな顔をしながら、彼女はポツリと呟いた。
「お父さん、お仕事入っちゃったからキャンプ行けないって。」と………。
あの時は渋い顔をしていた。はその日、菜々子の布団で一緒に寝た。

トントントン………リズムよく、はにんじんを切っていく。
キャンプはだめになったものの、の友人たちが気を回してくれたおかげで菜々子は今、
彼らと一緒にジュネスへと出かけている。はしゃいで家を出て行く菜々子の顔が忘れられなかった。
同時にふと、は思う。
自分も昔、そんなふうに家から連れ出してくれる人がいたらよかったのに………と。

の両親は共働きだったので、彼女はいつも家に一人でいた。
寂しいと思っていたものの、仕方ないと思っていたし、それでもよかったと思っていた。
両親が彼女自身を愛してくれていたのはよく知っていたから。
それに、忙しい両親の代わりに湯木のおじさん・おばさんが彼女を大切にしてくれた。
でも、それでも……………

ぼんやりとその言葉の続きが頭に浮かびそうになった時、ガラリと玄関が開く音と、
「ただいまー」という明るい声が聞こえてきた。菜々子とが帰ってきたみたいだ。
は野菜を切りながら、「おかえり」と言った。

「お姉ちゃん!!!今日、菜々子すっごい楽しかった!!!
あのね、お兄ちゃんのお友達がいろいろお話してくれたの!!!
お兄ちゃんと一緒に、みんなのジュースとかも選びにいったんだよ!!!」

「そんなことがあったんだ。ナナちゃん、よかったねぇ、お兄ちゃんと一緒に出かけられて。」

は隣に立つ菜々子に優しい目を向けた。
その瞳を見つめ返し、菜々子はぎゅっと横からに抱きついて呟く。

「今度はおねえちゃんも一緒に行こうね。」

彼女の言葉に、はふわりと笑った。もそばで優しい表情を浮かべていた。
そんな時、居間のテーブルの上での携帯が振える。
、メールみたいだ。」とが彼女の携帯を手に取り、差し出す。
は手を洗って携帯を受け取った。画面を開いて一瞬ピクリと体を反応させる。
差出人のところに、『真田先輩』と表示されていたから。


From 真田先輩
Sub 辰巳ポートアイランドで
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
、急にすまない。だがお前に伝えたいことがあってメールをした。
実は先日、ムーンライトブリッジあたりでシャドウ反応があった。
数は多くないが、2年前と同じようにシャドウがこちらの世界に出てきているということだ。
幸いにもただの雑魚だったから、すぐに対応することができた。
12年前の事故の余波が少し残っているのか分からないが、
辰巳ポートアイランドはまだ、シャドウと少なからず関係があるようだ。
今、俺が独自に調査しているところだが、原因はまだよく分かっていない。
そして今回は、影時間がなかった。シャドウは普通の時間に出現しているみたいだ。
出現したシャドウは、まだペルソナ能力が健在している天田が倒した。
もしもこの先、あの時と同じように大型シャドウが出てきてしまったら、
お前にも協力してもらってもいいか?
残念ながら俺にはもう、ペルソナ能力が消失してしまっているんだ。
返事を待っている。そうだ、シャドウについて何か分かったら、また連絡する。


真田からのメールを読み終えて、は驚きと不安の表情を浮かべた。

(どうしてまた、現実世界にシャドウなんか。
ついにシャドウがこっちに出てくるようになってしまったのね……。)

は携帯を握り締めながら、2年前のことを思い出した。
モノレールがシャドウに乗っ取られたときのこと。
ストレガと呼ばれる少年・少女たちと戦ったこと。
そして、好きな人が辿った道を、過去を遡って知ったこと。
あの地にまた、シャドウが出た。
いいや違う。ついに、こっちの世界にシャドウが出始めてしまった。

「おねえ………ちゃん?」

不思議そうに見つめる菜々子に視線をうつし、慌てては笑った。
エプロンのポケットに携帯を入れ、菜々子の頭を撫でながら言う。

「なんでもない。ナナちゃん、今日はカレーだよ。
キャンプにはいけなかったけど、キャンプ気分は味わってもらおうかと思ってね。」

「え、ほんと!?わーい、カレーだ〜っ!!!」

菜々子は喜んで台所で跳ねた。
そのままの腕を引っ張り、ご飯がカレーであることを伝える。
「よかったな、菜々子。」とが呟いた。
は2人に背中を向けて野菜を切り始めた。
しかし、頭の中では真田のメールの内容がぐるぐると回っている。
影時間が存在しないのに、現実世界にシャドウが出たと彼は言っていた。
何かが……変わってきている?バランスが、崩れてきている………?
それは――――――――――――――――

私たちのせい…………?







ゴールデンウィークが終わって、五月はそのままスルスルと過ぎていった。
あいかわらず、警察は事件の解決ができず、山野真由美・小西早紀を殺した犯人も発見できない。
雪子を襲った犯人も、分からないままだった。
しかしそれは、警察だけではない。たちにも事件の真相はわからなかった。
このまま、マヨナカテレビを待つしかない。それが彼らの判断。
マヨナカテレビなら、事件に関するヒントをくれるかもしれないから。

テストが終わり、週末は雨。
ガタガタと生徒達が席を立ち帰っていく中、はメールを読んでいた。
真田からのメール。ムーンライトブリッジに出現したシャドウについての………。
彼の調査の結果、出現したシャドウについては分からない、と書かれていた。

「………わからない、か。」

返事は家に帰ってから返すとして、は携帯をパタンと閉める。
天気はすでに、崩れかかっていた。
席を立ったところで、丁度陽介が教室に入ってくる。の姿を見つけて、疑問の声を上げた。

「あれ?、お前まだ残ってたのか。」

「そういう陽介も………。」

彼の顔を見つめて言葉を返すと、陽介は軽く笑い「ちょっと野暮用で……」と言う。
鞄を持つと、陽介も机の上においてあった荷物を手に取った。

「それにしても珍しいな。お前がと一緒に帰らないなんて。」

「今日はジュネスに寄って帰るから、先に帰っていいよって言ったの。」

そう答えながら、はふと疑問に思う。今陽介は、のことを名前で呼んだ。
この前まで苗字だったのに………。2人の間に何かあったのだろうか?
ぼんやり考えていると、陽介がポンと肩を叩き彼女に言う。

「んなら丁度いいや。俺も今日、ジュネスでバイトなんだよ。一緒に行こうぜ。」

陽介の申し出に、は笑顔で頷いた。
もしかしたらと陽介は、お互いの距離を縮めつつあるのかもしれない。
都会から転校してきた者同士だし、気が合うものがあるのだろう。
でもきっと、それだけじゃない。
は陽介と肩を並べて歩きだす。
その時不意に、体の奥で何かが震えた。
耳鳴りのようなものがして、ぐらりと視界がゆらめく。

(え…………?)

その不思議な感覚に、が大きく目を開くと、彼女の隣を一人の少年が歩いていった。
制服の上着を肩に引っ掛け、ぺたんこの鞄をわきに抱えながら歩く少年。

これは何の感覚?この、不思議な感覚………。

ペルソナの、共鳴?でも、本当に………?

それならなぜ、今通りすぎた少年が、目に焼きつくの?

少年の姿が曲がり角へと消える。その瞬間、耳鳴りはやんだ。
ハッと我に返ると、陽介が少し先のほうで心配そうにを振り返っていた。

「おい、大丈夫か?」

そう心配する陽介に、は慌てて笑顔を作ると舌をちろっと出して言葉を返す。

「うん、なんでもない。教室に忘れ物したような気がしたんだけど、気のせいだった。
心配かけてごめんね。さ、さっさとジュネスに行こう!!!」

彼女はあの、不思議な感覚を心の中に留めながら歩き出す。
はまだ知らない。これもペルソナの共鳴(きょうめい)現象なのだということを………。








と も な き 。