時の歩みは三重である。
未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、
過去は永久に静かに立っている。
(独作家:Friedrich von Schiller)




お客人、あなた様は確実に真実が待つ未来へと近づいている。
私はこの青い部屋の中でそれを感じているのです。
あなた様がこの部屋を訪れるたび、あなた様の中のもう一人を強く意識することができる。
真実を掴もうと、必死に手を伸ばしている。
強く、美しいもう一人のご自分を持つお客人。
現在(いま)を仲間たちと楽しく過ごすのも、大切な時間の一つ。
そしてそれはやがて、あなた様の後ろに、過去として永久に立つ。

お客人、あなた様は仲間たちと共に現在(いま)を楽しみなさい。

きっと、あなた様を大きく成長させることでしょう。




イゴールは一人、ベルベットルームで小さく笑った。
そばではマーガレットが主を見ており、疑問の声をあげる。

「イゴール様………?」

「マーガレット、今度のお客人も素晴らしい方のようですな。」

主が何を思って突然そう言ったのかは分からないが、
少なくともマーガレットにはがただ者ではないことぐらい分かっていた。

かつての客人もそうだった。
兄弟の中で最強と呼ばれた妹を打ち破った先人。
あなたは彼と同じ―――――――― いや、もしかしたら彼以上に成長できるはず……。
もしもそうなったら……そうなった時は……。

マーガレットも小さく笑った。考えただけで体がぞくぞくする。
でもまだ早い。彼と手合わせするには、もう少し時間が必要だ。

「そのために、あなたは色んな人と触れ合って、いろんなことを経験して成長するのよ。
私を失望させないでちょうだいね。」

青い空間で、ふわりと一羽の蝶が舞った。
光輝く蝶が、青い空間から世界へと飛び出していく。
太陽に照らされて羽ばたく蝶の向こう側に、ぼんやりと外を見るがいた。
授業中なのだが、彼は授業に集中できないでいた。
それは先ほどの出来事のせい…………。







数時間前――――――――

のクラスでは、ホームルームの時間に林間学校のグループ分けが行われた。
クラスのみんなと仲良くなる……ということで、くじ引きが行われたのだが……。

「うっそ!!!俺、と一緒だし。」

「え、陽介も君と一緒なの?私もだよ!!!」

「待って。千枝も……?私も君と一緒だし……ってことは……」

千枝と雪子、と陽介はお互いの顔を見合わせる。
偶然にもいつものメンバーでグループが決まった。
ただ、1グループの人数は4人ずつ。
悲しいことにだけが別のグループへと決まってしまったのだ。

「わぁー、いいなぁ。けど仕方ないね。」

そう言って笑う彼女がの目に焼きついた。
本当はと同じグループがよかった……。そんなワガママ言ったって、どうしようもない。
第一くじ引きでこの4人が揃ったのも奇跡に近いことなのだ。

とは別のグループかぁ〜。
1グループが5人だったら、も一緒になる確率があったのにねぇ。」

「私も残念。ちゃんとカレーライス作りたかったなぁ。」

千枝も雪子も残念そうな顔をした。もちろん陽介も。

「ふふ。カレーライス作るときは、こっそり遊びに行くから。」

はぺろりと舌を出しながらそう伝えた後、自分のグループへと行ってしまった。
彼女と同じグループになった男子たちが、嬉しそうにに話しかけている。
自然と鋭い瞳をする。そんな彼の肩を千枝が叩いた。

「ほらほら君。今にも噛み付きそうな顔して相手を見ないの。」

ハッと我にかえって、は千枝を見て笑った。
「そんな顔してないよ。」と答えたが、内心そうは思わなかった。

(確かに俺は今、と話す彼らに鋭い視線を向けていた………。)

それはが彼らにとられてしまったような気がしたから………。
はくしゃりと自分の前髪を触った。






そして迎えた林間学校当日。
到着したあと、ゴミ拾いや薪割りなどをやらされ、昼からはゲーム大会。
大縄跳びでどのクラスが一番飛んだかを競う。
残念ながらのクラスはあまり良い成績ではなかった。
それでも大いに盛り上がったあと、グループに分かれてカレーを作る。
のグループでは、千枝と雪子が昨日ジュネスで買い込んだ食材を前に腕まくりをした。
彼女たちの気合に期待しているのか、陽介の目が輝いている。

「腹減ってんだから、うまいカレー作ってくれよ。里中に天城っ!!!」

「任せてよ!!!そんじょそこらのカレーとは違うのつくっちゃるよ!」

「私だって、料理の修業してるんだから頑張る!!!」

千枝と雪子はお互い顔を見合わせた。
そして二人は包丁を握る。そんな二人の光景を見て、は激しく動揺した。

(握り方が――――――――っ!!!)

の目が点になったところで、ドス……と鈍い音がする。
まな板の上を見れば、皮をむいたジャガイモに包丁が突き刺さっていた。

「………………。」

言葉を失う陽介と
近くで女子生徒の歓声が上がった。

「すごーい!!!さん手際いい〜!!!おいしそうなカレーが食べられそう♪」

振り返ればが笑顔を見せ、トントンと軽快なリズムで野菜を切っていく。
同じ大きさに切りそろえられた野菜たち。
ザルの中でキラキラ光っていて、まだ調理もしていないのにおいしそうに見える。

…………っ!!!このグループにという女神がほしいっ!!!」

「同感………だな。」

悪戦苦闘している千枝と雪子を見て陽介が呟き、も目を細めて言った。
ちらりと机の上に視線を向ける
カレールーと一緒に置かれた食材たち。
野菜のほかに、コーヒーやチョコレート、からし、卵、ケチャップなどなど………。
そしてちょっとわけのわからない物体。
まるでダンジョンの中で出てくるアノ敵の足部分みたいなそんな感じのもの……。
つついてみると少しぬめっとしていた。

「これ………食えるのか?」

は物体を見ながら冷静に考えるのだった。

女性陣が野菜を切っている間、と陽介は火を起こす。
なんとか薪に火がつき、早速飯ごうでご飯を炊く。
その頃にはもう雪子と千枝は野菜を切り終わっていて、
不恰好な野菜を鍋に入れて持ってきた。
その中には、あの奇妙な物体も…………。

「おい。なんだよこりゃ?これ、食えるのか?」

「昨日クマさんがくれたのよ。おいしいらしいわ。」

にっこり笑って雪子が答えた。
「ふーん」と言う陽介に視線を向ける
クマがくれた……ということは、やっぱりアイツの足の部分………?

「気付かないのか?陽介………。」

「何がだよ?」

「いや、別にいいんだ………。」

呑気に言った陽介に、は口をつぐんだ。
人生には、知らないほうがいいこともあるもんだ。
パチパチと音を立てて燃える薪を、は静かに見つめる。
もしもアイツの足がマズイものだったら、本気でクマをしめると決心しながら……。
そうして、みんなでワイワイ騒ぎながらカレーを作り、
見た目は普通のカレーが完成した。

「おおおおおお!!!見た目は普通のカレーだけど、うまそうじゃん!!!」

「ふっふーん!!!私達が腕によりをかけて作ったのよ。まずいわけないじゃん!!!」

胸を張って千枝が言う。
そんな彼女を、は冷や汗ダラダラで見ていた。
は知ってるのだ。千枝と雪子がこのカレーに、一体何を入れていたのかを。

見た目は普通のカレー。
しかしこの鍋の中には、調味料にからし・ケチャップ・塩・こしょう・マヨネーズ。
隠し味にコーヒーとチョコレート、溶いた卵、牛乳。
仕上げに唐辛子。これらが全て混ざっている。
お皿に盛られたカレーが自分の席に置かれ、はためらいながらスプーンを持つ。
隣では何も知らない陽介が、ルンルン気分でカレーをすくった。

「そんじゃ………いただきますっ!!!」

陽介の口の中にカレーが入る。
一度だけ口を動かして、そのまま陽介は後ろに倒れた。

「ちょっ……花村っ!?」

陽介は穏やかな顔をしたまま起き上がらない。
雪子と千枝の視線がに注がれる。変なプレッシャーを感じ、はカレーをすくった。
しかしこれがどんなに恐ろしいものか知っている彼に、それを食す勇気はなかった。

「どうしたの君。食べないの?」

「あ、いや…………。」

スプーンの上にのるカレーを見つめる。その瞬間、頭上から声がした。

「遊びに来ちゃった……って、あれ?陽介、なんでこんなに穏やかな顔して倒れてるの?
千枝ちゃんたちの作ったカレーって、そんなにおいしいの?」

見上げれば、カレー皿と飲み物を持ったが不思議そうにたちのカレーを見つめていた。
彼女はの横に座ると、自分のスプーンでのカレーをすくいとる。

、私に一口ちょうだい?代わりに私の少しあげるから。」

ニコニコ顔のが、スプーンを口に運ぶ。

「だ………だめだっ!!!!」

鋭く叫ぶと彼はからスプーンを奪い取り、すばやく自分の口にカレーを入れた。
その瞬間、何かが自分を迎えに来たような気がした。

(天使………か?)

ゆらゆら動く、白い翼が見える。
ぐらりと体が傾き、ふわふわ漂うような感じ。
遠くでの必死な声が聞こえた。彼女は自分の名前を呼んでいた………気がする。
ああ陽介。お前もこんな感じを味わったんだな。
の思考はそこで完全に途切れるのだった。






#26 現在(いま)という刻(とき)