この感覚………久しぶりだ。 体は眠っているが、頭は起きている感覚。 そして、静かにどこかへと運ばれていくような………。 時間の流れに身を任せ、それでも逆らっている自分の意識。 やがて、意識は青い部屋へとたどり着く。 目を開ければ、鼻の長い老人と美しいばかりの女性。 自分からここへ訪れることはよくあっても、呼ばれることは最近なかった。 「…………イゴール。それにマーガレットも。」 「お呼びだてしてごめんなさいね。主がどうしてもと言うものだから。」 にっこりと、マーガレットが笑った。 その表情が、かつてここにいた彼女のものとだぶる。 あの戦いが終わってから、彼女とは会っていない。 マーガレットは言っていた。先のエレベーターガールは、旅立ったのだと。 一体どこへ………? その問いに、彼女は曖昧に笑うだけだった。 「それで、何の用事ですか?」 「実はですな、そろそろ彼にもペルソナの4身以上の合体を解禁しようかと思いましてな。 彼のペルソナ能力は、日々成長しているようにも見えます。 今の彼ならば、強いペルソナを生み出しても、自分自身が飲み込まれる心配はなさそうでしょう。 それに伴い、あなた様の意見が聞きたくて、お呼びだてしたわけでございます。 あなた様からの目で見て、彼には4身合体で生み出すペルソナを扱える実力はおありでしょうかな?」 ぎょろり、と老人の瞳が魚のように動く。 ついに解禁されるか……と、は少し笑った。 は昔よりだいぶうまく、ペルソナを使えるようになってきていた。 今の実力なら、十分強力なペルソナを使えるだろう。 は目の前にいる彼らに力強く頷いた。 「はい、使いこなせる実力を、十分持っていると思います。 は………どことなく、あの人と同じような力を持っている……そんな気がします。」 「ほほう。」と、興味深そうにイゴールが声を上げる。 マーガレットも口の端を上げて、艶やかに笑って見せた。 「そう。それはとても楽しみだわ。美しい果実が、だんだん熟していく……。 私の妹を打ち破ったあの人と似たような力を持っているなんて、気持ちがはやるわ。」 ぐっと本を握り締めたマーガレットを見て、は苦笑する。 もしかしてこの人は………と考えた瞬間、あの死闘が脳裏に浮かんでくる。 かつて、自分と彼を殺す気で挑んできた金髪のエレベーターガール。 自分達も、彼女を殺す気で迎えた。 厳しい戦いだったものの、結果はエレベーターガールの敗北だった。 あの時初めて、は彼女の涙を見た。ただ、一回だけだったけれど………。 「マーガレット、もしかして………」 「今はまだ、その時ではないわ。 でも、あなたとの手合わせもいつかしてみたいものね。 妹を打ち破ったその力、ぜひ見てみたいものだわ。 あなたの中に見え隠れする、その素晴らしいペルソナたちに、私は毎回かきたてられる。」 金の双眸に見つめられ、は体を震わせた。 なんという迫力。さすがはあの、エレベーターガールの姉だとは感じた。 その瞬間、ぐらりと視界がぼやける。 「それではまた、時間のある時にでも………」 マーガレットの言葉を聞いたのが最後だった。 時間に押し戻される感覚を味わいながら、現実の世界へと帰っていく。 その途中、美しい青い蝶を見た。 光に包まれたそれ。ふと彼女は考える。 もしかしたら私が感じている日常は、蝶が見ている夢なのだろうか? 気付いたときには、は自分の布団の中にいた。 時計の針が朝の5時をさしている。起きなければ………。 りせちー、活動休止宣言!! 原因は体調不良っ!? あの人気アイドルりせちーが、芸能活動を休止っ!? 数日後、新聞の見だしや芸能ニュースでは、そんな言葉ばかりが並んだ。 今日も昼のニュースでは、久慈川りせのことが取り上げられており、 堂島は苦虫を潰したような顔をする。 足立が隣に座り、弁当のウィンナーをつまみながらテレビを見ている。 「あのりせちーが休止するなんて、本当に体調不良が原因なんでしょうかねぇ?」 ぼやいた足立の頭をはたき、堂島は怒鳴った。 「ちんたら弁当食ってないで、さっさと仕事しろ!!」 足立が頭を押さえながら小さく肩をすくませる。 堂島はイライラしていた。 この数日、この街に戻ってきた久慈川りせの身辺警護のせいで、 事件についてまったく情報収集ができなかった。 久慈川りせの家である豆腐屋に押し寄せたパパラッチや野次馬に怒鳴り声を上げる毎日。 「ったく、どいつもこいつも!!」 芸能人が休止したぐらいで騒ぎやがって!!あいつらも所詮は人なんだよ!! が作った弁当を開き、可愛らしいタコさんウィンナーにかぶりついた。 同じころ、もの作ったタコさんウィンナーを頬張りながら黙ってみんなの話を聞いていた。 マヨナカテレビに映った影は、りせっぽいと話す捜査メンバーたち。 「だって、考えてみればヘンじゃない? こんなにブレイクしてる時期に、休止宣言だよ?」 「でも体調不良なら仕方ないんじゃ………」 「表向きは……ね。本当は別の理由があるのかも。」 千枝がニヤリと笑う。 それまで黙って話を聞いていた陽介が、思い出したように呟いた。 「そういや、久慈川りせって、商店街のマル久豆腐店が実家なんだろ? こっちに戻って来てるって噂だぜ。この前野次馬とかパパラッチが凄かったらしい。」 彼の言葉にとは顔を見合わせて苦笑した。 その日は堂島の機嫌が凄く悪かったのを二人は思い出したのだ。 「あの日か……。」 「あの日だね……。」 堂島のことを察したのか、雪子も苦笑する。 「確かに今りせちゃんを見ようと野次馬とかすごいもんね。 警察の人が交通整理してるのもよく見かけるし。堂島さんも大変ね。」 雪子が呟く。 その言葉に続けて、陽介が「なぁ……」と切り出した。 一斉に彼へと視線が注がれる。 「今日の帰り、マル久豆腐店に行ってみないか? そんで、りせちーに怪しいやつとか見てないかどうか聞こうぜ。」 千枝がすぐに目を細めて言った。 「花村、アンタまさかどさくさにまぎれて、りせちーに会いたいだけじゃないの?」 ぴくんと彼の肩が揺れた。 どうやらそれも目的だったらしい………。 ハハハと彼は笑ったあと、もう一つ言葉を付け加えた。 「ま、まぁ……それもないこともないけど……。 でも、今回は手遅れになる前に動きたいんだ。 まだはっきり、りせちーがマヨナカテレビに映ったわけじゃないけど、 目星くらいつけててもいいだろ?」 そう真剣に言うよう輔に、いつの間にかみんなも真剣なまなざしを送った。 今日の放課後、みんなで久慈川りせに会いに行く。そういうことになった。 その後、たちはいつものように授業を受け、放課後がやってくる。 校門前でみんなと待ち合わせする。そこにはちゃんと、完二の姿もあった。 めんどくさそうな顔をしているが、 なんだかんだ言って、たちと行動する機会が増えてきた完二。 完二自身も驚いていた。誰かとこんなふうにつるむ日が来るなんて……と。 ちらりとそばにいたに目を向ける。 昔から思っていたことだが、彼女は本当に不思議な人だ。 誰の心にもすんなり入っていく。 昔の自分の心にも、今の自分の心にも彼女の存在がある。 今このメンバーにがいなかったら、例えペルソナに目覚めてもここにはいなかっただろう。 「本当に、不思議な人だよ。姉ちゃんは………。」 完二の言葉は、遅れてやってきた陽介と千枝の声にかき消された。 午後5時。マル久豆腐店前。 市役所から流れる「家路」を聞きながら、たちは店に到着した。 店の前には数人の野次馬がいたが、店にいるのが老婆だと分かると去っていった。 中を覗いてみると、確かに一人の老婆が座って何か作業している。 メンバーたちは店先で小さく輪を作る。作戦会議だ。 「で、りせちーいないみたいだけど、どうやって確認するのよ。」 「あそこにいるおばあさんに聞いてみる………とか?」 「雪子先輩、それはちょっとストレートすぎると思うっス。」 ひそひそと話すみんなの声を、は黙って聞いていた。 「うーん………」とメンバーたちが唸り始めたとき、突然が口を開く。 「とりあえず…………豆腐でも買うか。」 「そうだなーって……………はあ!?」 陽介が瞳をまんまるにし、隣にいるを見た。 「なんでそうなるんだよー!」と言いかけるころには、 はの手を引っつかみ、店へと入っていくところだった。 ワケが分かっていないは、に引きずられるようにして店に入っていく。 何度も陽介たちの方向を振り返っては助けを求める。 「ちょっと!どういうこと………」 「今日は晩飯に豆腐が食いたい。、マーボー豆腐にしてくれ。」 「それは別にいいけど……って今お豆腐買って帰るの!? ええっと……マーボー豆腐の材料、家にあったっけ…………?」 店から聞こえる二人の会話を聞きながら、千枝が苦笑する。 「何なのよ、この新婚みたいな会話………。とりあえず、私たちも店に入ろうか。」 とのあとに続いて、ドヤドヤと店に入っていく少年少女たち。 豆腐を選ぶの横で、が陽介に言った。 「お前も豆腐買え。」 「なななななな何でだよ!? 買うのは今日の晩飯がマーボー豆腐な堂島家だけでいいだろーが! それに俺は、あんまり豆腐好きじゃねぇーんだよ………。」 さすがに豆腐屋でこんなこと言うのは気が引けたのか、言葉の最後が小さくなっていく。 そんな時だった。店の奥から少女の言葉が返ってきた。 「じゃあ、がんもにすればいいんじゃない?」 みんなが一斉に声のしたほうを見る。 そこにはなんと、白いかっぽう着を着て、頭に三角巾をつけた久慈川りせがいた。 奥の座敷から下駄を履いて店に出てくる。 豆腐を選んでいるに小さい声で「いらっしゃい。」と声をかけた。 そしてそのまま、陽介のほうを見る。 「で、そっちの人はがんも、買うの買わないの?」 「は、え………あ、えっと………じゃあがんも一つ。」 状況をうまく理解していなかった陽介は、流れに任せてがんもを一つ頼んだ。 そのあとも、マーボー豆腐に使う木綿豆腐を何丁か買う。 りせから豆腐を受け取ったは、そのまま彼女に尋ねた。 「あの………私たち、あなたに聞きたいことがあって来たの。 あのさ、最近身の周りで変わったこととかなかった? 何でもいいんだけど、もしあったら教えてほしいの。」 しばらく店に沈黙が流れる。りせの瞳が、まっすぐを見ていた。 その瞳には、いろんな感情が浮かんでいるようだった。 ぴくりと眉を動かす。この子は何かを訴えかけている………。 が口を開こうとすると、りせはニコっと笑い彼らに告げた。 「何かよく分からないんだけど、特に変わったことはないよ。 しいていえば、野次馬が押しかけてきて店が大変なことぐらいかな。 もう終わった芸能人に会っても、何も特しないと思うんだけどなぁ………。 じゃあ私、お店あるから。お豆腐、買ってくれてありがとう。」 ツインテールを揺らしながら、りせは店に引っ込んだ。 再びシンと静まり返る店内。カラスの鳴き声が聞こえ、空が赤くそまる。 はの手から豆腐を奪いとると、それをぶら下げて歩き出した。 「あ、待ってよ!」 が追いかける。みんなも二人のあとを追った。 はメンバーを引き連れて、商店街にある辰姫神社へと足を運んだ。 そのまま境内に座ると、みんなの顔を見て尋ねる。 「………で、久慈川りせについてどう思う?」 「どうって言われても………今のところは大丈夫そうみたいだけど。」 「やっぱマヨナカテレビに映ったのって、久慈川りせなんスかねぇ……。」 「しばらくりせちーの様子を見張ってみる? 今は何ともなくても、今後どうなるか分からないし。」 「そうだな。里中の言うとおり、しばらく様子見したほうがよさそうだな。」 腕組みして陽介が千枝の意見に賛成する。 雪子と完二も頷き、も彼らの意見に賛成した。 「じゃあ…………」と言いかけて、彼が陽介のほうに手を差し出す。 陽介にしてみれば、の行動は不可解だった。 「その手は何だよ、………。」 陽介が怪訝な顔をしてこのメンバーを取り仕切るリーダーの顔を見た。 「さっき買ったがんもどき。」 短くそう言い、手をひょいひょいと動かす。 陽介にがんもどきをよこせと言っているのだ。 疑問に思いつつも陽介は、がんもどきを彼に渡した。 何をするかと思い見ていれば、はがんもどきを袋から出したあと、力いっぱい遠くへ投げた。 「あっ!何すんだよっ!俺のがんもどきがぁっ!」 飛んでいったがんもどきを視線で追う。その先に目つきの悪い狐がいた。 赤いよだれかけをかけており、パクっと上手にがんもどきをキャッチする。 「ああっ!」と叫んだ陽介の声を気にせず、はその狐に向かって叫んだ。 「前払いだ。俺たちの代わりに、久慈川りせを見張ってくれ! 何かあったら、俺たちに知らせろ!いいなっ!?」 の言葉に、こくんと狐が頷いた。そのまま森の奥へと消える。 恨めしそうに彼を見ている陽介をものともせず、はみんなに言った。 「あとは狐に任せて、俺たちはそろそろ帰ろう。」 「そうね。私、晩御飯作らなきゃいけないし、菜々ちゃんのことも心配だし。」 が立ち上がる。それが合図になったのか、他のメンバーも境内から立ち上がった。 そのまま、今日の作戦は終了を迎えた。 がんもどきを狐に取られた陽介は、雪子と千枝になだめられながら帰ったし、 完二はマル久豆腐店は家から近いし、気にしてみますとに言って去っていった。 堂島家へ続く道を、との二人で歩く。 歩くたびに豆腐の入ったナイロン袋がガサガサと音を立てる。 それを聞きながら、はさっきのりせの表情を思い浮かべていた。 不安、焦り、嫉妬、疲れ、諦め………その色んな感情の中にちらりと見えた一つの顔。 安堵したような顔………。何かから解き放たれたという自由を思う心。 りせの表情には、少しだけどそんな感情や顔が見えた気がした。 確かに彼女があの世界にいる限り、彼女自身に自由はなかっただろう。 だが彼女には休止した今、自由がある。 それはりせが、どうしても手に入れたいものだったのかもしれない。 (それならばなぜ、あなたはあんな浮かない顔をしていたの?) 久慈川りせ。あなたは一体、何を抱えているの? 遠くに見えてきた堂島家を見つめながら、はそう考えていた。 |