シャドウクマに名前を呼ばれ、はびくんと体を震わせた。 なぜそこで、私に問いかけるの? そう尋ねる前に、シャドウクマが口を開いた。 「あの時お前は、仲間たちと真実を確かめてどう感じた? よかったと思ったか?違うだろ?辛い運命を知って、絶望しただろ?後悔しただろ? 彼は楔となり、永遠に宇宙の片隅でたたずんでいる。輪廻転生の理から外れた愛しい彼。 お前は何度生まれ変わろうとも、彼には会えない。それが真実。 もしも知らなかったなら、お前は傷つかずにすんだはずなのに、真実を知ったからこそ傷ついた。 そしてお前は気付き、後悔してしまった。楔となる運命にあったのは、本当はお前だったことに。 お前が彼を………楔にしてしまったんだ。」 は言葉を失った。なんでそれを、あなたが知っているの? 何もいえない彼女の名前をが呼ぶ。それでもは何も反応しなかった。 ただ怯えたような瞳でシャドウクマだけを見つめている。 シャドウクマはにやりと笑った。 「ちゃんになに分けのわからんこと言ってるクマか! なんでクマの問題にちゃんが出てくるクマか!? ちゃんはぜんっぜん関係ないクマ! 楔とか輪廻転生とか言われても、クマには理解不能クマっ! ……あ、分かったクマ! クマがあんまり賢くないからって、わざと難しいこと言ってるクマね! 失礼しちゃうクマ!クマはこれでもクマなりに一生懸命考えてるクマよ!」 イーっとクマがシャドウクマに歯を見せた。 そんなクマを哀れな目で見つめるシャドウクマ。 「考えるなど無駄なことだ。お前は初めからからっぽなのさ。 お前には失われた記憶など初めからない。 何かを忘れているとすれば、それは"その事"自体にすぎない。 それに、お前は知っているはずだ。 のことも、楔のことも。お前はすべて"見ていた"のだから。 だって、昔のお前はただの…………」 「やめろ………やめろ………やめろって言ってるクマあああああああ!!!!」 クマがシャドウクマにぶつかっていく。しかし簡単に弾き飛ばされてしまった。 の隣で、ドサリとが膝をついた。 彼女の変化に戸惑いを覚える。がくがく体を震わせ、血色のない顔。 陽介も心配し、のそばに寄る。 「おいっ、!どうしちまったんだよ!?」 「しっかりしろっ、俺を見るんだっ!」 の肩を掴み、正面を向かせる。はただ、震えるだけで何かを呟いている。 耳をすませば、その呟きが聞こえた。 「違う、後悔なんかしてない。真実が分かってよかったと思ってる。 彼が生きろといってくれた………私、今更楔になんか……なりたくないよ。 怖い、怖いよ………」 はぎゅっと目をつぶった。 たちの前で、シャドウクマがむくむくと大きくなっていく。 その大きさは、尋常じゃなく、力も邪悪さも、何もかもが今までのシャドウよりはるか上だった。 シャドウクマは大きくなった瞳で、じろりとたちを捕らえる。 「真実が欲しいなら簡単だ。お前達が真実だと思えばいい。 ………では一つ、真実を教えてやろう。」 お前たちはここで死ぬ。真実を知ろうとしたが故に、何も知りえぬままな………。 よ、そしてまた、お前は生まれ変わり絶望を味わうがいい。 愛しい者が輪廻転生の理を外れたことへの絶望。 それが、楔とならなかったお前への罰であり、また………真実だ。 目を開いたの瞳孔が収縮した。まるで彼女の周りの空気だけが止まってしまった感覚。 異変に気付いたと陽介は、静かにの名前を呼んだ。 返事はなく、彼女はただ、一点を見つめていた。 そして……………静かに彼女からペルソナ―――――オルフェウスが現れた。 オルフェウスは体をぴくぴく痙攣させている。 「ど、どうしちゃったのよ。なんでオルフェウス、こんな………」 不安を覚えた千枝が、力のない声を上げる。 雪子や完二、りせも緊張した瞳でのオルフェウスを見ていた。 やがてオルフェウスの痙攣が止まる。そして次の瞬間…………。 オルフェウスを食い破り、中から別のペルソナが生まれてくる。 大きく裂けた口。漂う鎖。鋭い剣を持ったペルソナ。 見ただけでゾクリと恐怖が走った捜査隊メンバーたち。 「あ、ああああ………い、いやああああああああ――――――っ!!!」 が叫び声を上げた瞬間、 オルフェウスから生まれた恐怖のペルソナ……タナトスは、シャドウクマへと容赦なく噛み付いた。 雄たけびを上げ、本能のままに暴れるタナトス。 それはつまり、ペルソナの……オルフェウスの暴走だった。 *** ざわざわと人の声がする講義室内。 明彦はあの事件からもうすでに完全復活していた。 こんなにも早く怪我が治ったのは、再び目覚めたペルソナ能力のおかげだろうと、 彼は自分の手を見つめた。 今日最後の講義は心理学の授業だった。 この講義にはほとんど出ているが、伊波座の姿はあれ以来見かけなかった。 (心理学の講義を放棄したのか………?) そんな疑問が浮かんだとき、明彦は声をかけられた。 「ここ、座ってもいいか?」 眼鏡をかけた長身の男が、肩からバッグをかけ明彦を見ていた。 見回せば席は真田の横しかあいていない。 イスの上においていたバッグをどけ、明彦はその長身の男に言葉を返した。 「ああ。」 長身の男が隣に座る。大学内で何回か見かけたことのある顔だった。 残念ながら、名前が出てこない。クールな顔つきで、笑うことなどなさそうな人物だ。 明彦が彼をじっと見つめていると、男はじろりと瞳を動かして明彦を見返した。 そして小さな声で尋ねた。 「お前、ボクシング部の真田明彦だろう? 学部が違うお前が、心理学をとるなんて珍しいな。」 一瞬びくりとした。相手が自分の名前を知っていたことに。 明彦はぽかんとしていたが、低くて冷たい声でこの人物が誰なのかを思い出した。 確か彼は………… 「お前は確か、神郷諒………だったよな。入試の時、この大学をトップで通過した………。 神郷、お前も確か心理学とは無縁の学部だろう?珍しいのはお前も同じだ。」 明彦の言葉に、諒がふっと笑った。 「お互い様だな」と呟く。そのまま教授が入ってきて、授業が始まる。 教授の話を聞きながら、明彦は諒に言った。 「俺が心理学に出席しているのは、人間の人格に興味があって……だ。 人はつねに、いくつもの仮面をかぶりその役を演じている。 俺の中にも多分、いろんなペルソナがあるんだろう。 そう考えると興味がわいてな………。」 ちらりと諒の瞳が明彦に動く。諒はすぐに視線を教授に戻した。 しかし意識は明彦へと向けられている。 そのまま諒は、前を見たまま明彦へと言った。 「俺は将来、警察官になりたいと思ってる。 それには人の心理を知っておく必要があると思ってな。 それに………俺もペルソナについて、いろいろ知りたいと思ってる。」 そう語る時の表情はまるで、人を寄せ付けない雰囲気をかもし出している。 諒のそんな表情を見ていると、明彦の中にいるカエサルが少しだけうずいた。 まるで彼と共鳴しているような感覚を持つ。 (この感じ………一体何なんだ?) 不思議な感覚を持ったまま、明彦は授業終了を迎えた。 学生達がそれぞれ席を立つ中、諒も荷物をバッグにしまっていた。 そのまま彼は立ち上がり、明彦を見らずに背を向けた。 「なぁ…………」 「ちょっと聞きたいんだが………」 少しの間をおいて二人が口を開くと、それぞれの声がかぶった。 一瞬沈黙が訪れる。明彦は少し可笑しくなって小さく吹き出した。 振り返り、怪訝な顔をした諒が明彦を見ている。 「悪い。まさか同じタイミングで物を言うとは思わなかったんでな。 神郷、お前から先に言え。」 座ったまま、長身の男を見上げる明彦。戸惑いつつも諒は口を開いた。 「今度の講義、またお前の隣に座ってもいいか?」 意外な問いかけに、明彦は驚きつつも頷いた。 それを見て、今度はお前の番だと諒が促す。明彦は諒に尋ねた。 「ちょっと聞きたいんだが、伊波座っていう奴を知らないか? 心理学をとってるはずなんだが………。」 その言葉を聞き、諒の眉間にしわが刻まれた。 知らないか………。そう思ったとき、諒は明彦が思いもしない言葉を呟いた。 「伊波座……?この前の授業で、隣の席になった。不思議な奴だったな。 ニコニコしているが、アイツの存在を感じるだけで背中がぞくぞくした。 何か不思議な力を持ってそうな、そんな人物だった。」 考えるように諒が顎に手を当てて言った。 この前っていつだ!?………そう尋ねれば、彼は即答した。 「お前が休んだ日の講義だ」と。それから伊波座の姿は見ていない。 諒はそういい残し、去っていった。 明彦はなんだか、この先ずっと伊波座には会えないような、そんな感じがしていた……。 *** オルフェウスを食い破ったタナトスは、容赦なくシャドウクマを攻撃していた。 その光景を見て、捜査隊メンバーの顔が青ざめる。 りせが悲痛な声で叫んだ。 「このままあのペルソナが、あの子の影を攻撃し続けたら、あの子が死んじゃう!」 シャドウと本物はつながっている。 シャドウが死ぬ時は、本人も死ぬ時………。 陽介は頭を抱えるの体をゆすった。 「おいっ、頼むからあれをとめてくれっ!そうでなきゃクマきちがっ……!」 そう言ってみても、は動かなかった。 一体どうすればいいんだよっ………陽介がそう思ったとき、はぐいっとの体を抱き寄せた。 (…………えっ?) の行動に言葉を失う陽介。はしっかりを抱きしめて、背中をさすった。 ゆっくり、ゆっくり。まるで母親が子供にやるように。 頭を抱えていたが、ゆっくりと顔を上げた。 「…………?」 今まで何も言わなかった彼女が、リーダーの名前を口にした。 はの耳元に唇を寄せると、優しく語りかける。 「、何があったか知らないけど、お前は楔になんかならなくていい。 お前には大事な仕事があるだろう?俺を真実へと導くっていう、大事な仕事が。 なしじゃ、きっと俺は真実へはたどり着けない。 だから俺が、お前を楔になんかさせない。」 力強く、温かい言葉。の頭の中で、霧が晴れたような気がした。 それと同時に、あの言葉が思い浮かぶ。 ガソリンスタンドの青年が言っていた言葉。 『自分を強く持つんだよ?そして、飼いならすんだ。もう一人の自分を。』 から離れると、すくっとは立ち上がった。そのまま静かに目を閉じる。 あれはもう一人の自分だ。真実に怯え、後悔している弱い自分。 力に支配された、破壊だけを持つ自分。暴走した力。暴走したオルフェウス。 はスッと、手で銃の形を作った。 昔使ってた召喚器はここにはないけれど。 なぜ召喚器が銃の形をしているのか、昔明彦に聞いたことがあった。 銃で頭を打ちぬくことによって、"恐怖に打ち克ち内のペルソナを引きずり出す"ことができるらしい。 それならば、今ここで、恐怖に打ちかってやろうではないか。 は心の中で数を数えた。 (さん………) タナトスがシャドウクマに喰らいつく。 (に………) 千枝と雪子、完二が必死な顔でを見ている。 (いち………) 陽介とが、の名前を叫んだ。 「タナトス…………っ!」 は心の中で召喚器の引き金を引き、目を開いた。 己の口は、暴走しているペルソナの名を呼ぶ。 恐怖に打ち克ち、自分を……タナトスを飼いならせ。 タナトスは大きく吼えて暴れた。「くっ………」との声が漏れる。 暴走するタナトスがのほうを見て、剣を振り上げ近づいてきた。 「あっ………」とみんなが叫ぶ。 は目の前で自分に斬りかかろうとしているタナトスを睨みつけ、言い放った。 「………いい加減、私に従いなさいよっ!」 今まで彼女が発したことのない低い声。ぴたりとタナトスの動きが止まった。 剣を握り、振り上げられた手が静かに下ろされる。 そのままタナトスは一つ声をあげ、タロットカードとなりの手へと降りていく。 13番目のアルカナ。デスのカード………。 そのカードを受け取ってから、はすぐ意識を手放した。 崩れるようにして倒れる彼女を支えたのは、もちろんだった。 「っっっ!!!」 「ちゃんっ!!!」 「姉ちゃん!!!」 心配したメンバーたちがへと駆け寄る。 の腕の中で、はすやすや眠っていた。 「力を使いすぎたのね。今はゆっくり休ませてあげたほうがいいと思う。」 りせが言った。 そのまま、タナトスの攻撃で動きを止めたシャドウクマに向き直る。 そこには本物のクマもいた。 彼は真正面にシャドウの自分と向き合っていた。 「クマは自分が何者か分からないクマ。 ひょっとしたら、答えなんて見つからないって時々そんな気がしたクマ。 でもクマはここで生きてるクマっ!」 「大丈夫だ、クマ。お前はもう、一人じゃない。」 叫んだクマの背中に、が声をかける。 振り返ったクマを見て、陽介も言った。 一緒に探してやるよ……と。雪子も言った。 この世界のことを探っていくうちに、クマのことも分かるのではないかと。 その言葉を聞いて、クマは実感する。 自分はもう、一人ではないんだ………仲間がいる。 これからは大切な仲間のために、もっと役に立ちたい。力が欲しい。 心のそこからそう願った時、奇跡は起こる。 シャドウクマが光を放ち、それは大きな力となる。 シャドウと戦う為の力。みんなを守りたいと願った、クマへのプレゼント。 「キントキドウシ………?クマの、ペルソナ?」 目の前にいたのは、確かにもう一人の自分だった。 |