一人の青年が、鮫川の土手で目を閉じて座っている。 彼は不意にニッと笑い、言葉を紡ぐ。 「彼女は試練を乗り越えたみたいだね。自分を律し、飼い馴らしたか……。 そうでなくちゃ真実には辿りつけない。 彼女には確実にイザナギを連れてきてもらいたいからね。」 青年は目を開け、空を仰いだ。赤く染まった夕焼けに、月が浮かんでいた。 *** 一人にして欲しいというクマを残し、捜査隊メンバーはテレビの世界から現実に戻ってきた。 広場のテレビから現実世界に戻る時、陽介はに向かって尋ねる。 「ところで。お前まさか、そのまま帰る気なのか?」 「………?そうだけど?」 陽介がなぜわざわざそう尋ねるのか、理解できてない。 ため息をついた陽介は、彼の腕を指さした。 「その抱え方はさ、なんつーか……見ててこっちも恥ずかしいし、せめておんぶだろ……。」 陽介は少し視線をそらした。 は今、をお姫様だっこしている。 結構力あるんだなぁ……なんて最初は感心したけど、 もしこれでジュネスを歩かれたりしたら、次の日には噂の的だ。 「恥ずかしいのか?俺は別に……」 「お前の意見なんか聞いてねーよ!世間的なことを言ってんの、俺は! お前は困らなくても、この先が困るっつーの!多分………。」 キョトンとした目で周りを見回す。 確かに千枝も雪子もりせも苦笑している。 完二だけはを睨みつけていたけれど……。 はため息をついて、をおんぶした。 「お姫様だっこっていうのは、女子の憧れじゃなかったのか?」 「時と場合があんだよっ!!」 テレビの世界に、陽介の怒った声が響いた。 しっかり者なのか天然なのか分からないやつだな……。 陽介は彼の後ろ姿を見てそう思った。 一行はテレビの世界からジュネスに戻ってくる。 疲労しているりせは、千枝と雪子が送っていくことになった。 陽介はジュネスの店員に呼ばれ、完二は手芸コーナーに寄っていくということでみんなと別れた。 はをおんぶしたまま、とある場所を目指していた。 ベルベットルーム……。 商店街の一角にひっそりと立つ青い扉を開け、中に入る。 と一緒にここを訪れるのは、もしかしたら初めてかもしれない……。 「……あら?」 「おや……。」 現れた二人の姿を見て、この世界の住人たちも驚いているみたいだった。 はゆっくりをおろし、ソファーに座らせた。 そのまま自分もソファーに座り、に肩をかしたあと、イゴールとマーガレットを見た。 「実は……」と、の身に起こったことを簡単に説明する。 最初は黙って聞いていたイゴールだったが、最後には少し驚いているようだった。 「彼女のペルソナが暴走したのでございますな? 何とも珍しい……。答えに辿りついた者が、ペルソナの暴走とは……。」 「オルフェウスを喰い破って現れたのは、タナトスだったのですね?」 マーガレットにそう聞かれ、は頷いた。 彼女はペルソナ全書をパラパラめくり、タナトスの書かれたカードを取り出す。 カードは空中でゆるやかに回転した。 「タナトス……鉄の心臓を持ち、青銅の心を持つ非情の神。 黒い衣を身に纏い、死を招く剣を持つ……。 定められた寿命が尽きた者の髪を一房切り取り、冥府の神ハデスに捧げ、 その後その者の魂を運ぶ任を負っている神。」 「彼女が発現させたペルソナは、前のお客人が暴走させ発現させたペルソナ。 オルフェウスを彼から引き継いだのですから、 暴走にてタナトスを発現させるのは当然のことでございましょう。 しかし不思議なのは、ペルソナの暴走のことでございます。 大抵、答えに辿り着き、ワイルドの称号を与えられた者は、 ペルソナを暴走させることはありません。 しかし彼女はペルソナを暴走させたのでございますね?」 「イゴール様、彼女はなんらかの干渉を受けたのではないでしょうか?」 マーガレットがペルソナ全書を閉じてイゴールを見る。 老人は組んだ手に顔を埋めるようにして答えた。 「その可能性もありますでしょうな……。」 彼らの会話を聞き、はそういえば……と思い出したことがあった。 クマがシャドウを出した時、りせの言っていた言葉。 クマに何らかの干渉の力を感じる……と。 がペルソナを暴走させたのは、そのあとだった。これは偶然……? そう考えてると、イゴールの顔が上がった。 「しかしながらお客人、そこにいる彼女は暴走したペルソナを律し、 飼い馴らしたわけでございます。 そうすることで彼女は非常に強力なペルソナを得ることができた。 将来、彼女の力はあなたにとっても助けとなりましょう。 さぁ、もうお戻りなさい。お客人の世界に、夜がきておりますよ。」 はだんだんベルベットルームが遠くなっていくのを感じる。 気づいた時には、青い扉の前でを背負ったまま、ぼぅっと立っていた。 空を見上げると月が出ている。うっすら黄色く、白に近い色の月だった……。 その中では一言呟く。 「………マーガレットに、お姫様抱っこをして帰るのは恥ずかしいことなのか聞けなかった。」 とを見送ったイゴールとマーガレット。 主に忠実を誓っているマーガレットは、手に持っているタナトスのペルソナカードを見ていた。 「……人間の心理学の中では、 タナトスを攻撃や自己破壊に傾向する死の欲動を意味するとされています。 もしがタナトスを飼い馴らせなかったら、彼女の精神はタナトスに喰われていた……。 一体誰が彼女にそんな干渉をしたのでしょうか? ワイルドの称号を持つ者さえ、狂わせるほどの力……。」 「おそらくその人物は、真実という名の答えの場所にいらっしゃるでしょうな。 それを突き止めるのは我々ではなく、彼ら自身。 我々はただ、彼らの行く末を見守り手助けをするだけの存在にすぎないのです。」 マーガレットはじっと主を見た。彼は必要以上に人間と関わろうとしない。 でも彼女自身は、もっと人間の内面を知りたいと思っていた。 何を考え、何を生きる強さとしているのか。 マーガレットはこっそり笑った。これでは妹と同じではないか……と。 楔となった彼を助けるため、旅立った可愛くて強い妹。 彼女はおそらく、あのお客人が好きだったのだろう……。 *** 7月に入った。 久慈川りせを救出して数日。メディアではりせの失踪について落ち着きを見せていた。 もあれから、何も変わりなく過ごしている。 タナトスを自分の力にしたは、あの日帰ってきてからまる1日眠っていた。 はこのままが起きないんじゃないかと心配になった。 眠っている時のは、とても穏やかな表情だったから。 彼女が目を醒ました時、最初に言った言葉は「ありがとう」だった。 『がいてくれたから、私は弱い自分に勝てたんだよ。』 のその言葉を思い出し、ちらりと斜め後ろに座る彼女を見た。 「はい君!女の子が気になるからって、授業中よそ見しちゃだめだよ〜。 罰として今から質問に答えてもらおっかな!はい、立って立ってー!」 クラスメイトのクスクスという声が上がり、視線がに集まる。 ため息をついて彼は立ち上がった。 現代文を教える細井が、人形をパクパクさせながらに問題を出した。 「"万葉集"で有名な七夕の歌を数多く残したのは歌人は誰だべな?」 周りで「わかんねーよそんなの」とボソボソ声が聞こえる。 後ろでも陽介が、「マニアックな問題だな」と苦笑していた。 は一度目を閉じてから細井を見た。そのまま彼に答えを言う。 「柿本人麻呂。」 一瞬シンとクラスが静かになった。生徒の視線が細井へと向く。 細井はにっこり笑って人形を大きくパクパクさせて言った。 「正解正解、大正解ー」と。その瞬間、大きく拍手と歓声がわき上がる。 女子生徒たちのささやきが数多く聞こえてくる。 「やーん、さらっと答えちゃうなんてかっこいー!」 「頭いいよねぇ、君って。」 「ねえねえ、今度告白してみよっかなぁー?」 そんな声の中で、を見る。彼女は笑顔で拍手していた。 はこっそりブイサインをしてみせる。 の顔がますますほころび、自身も少しだけ笑った。 授業はそのまま進み、無事に最後まで迎えた。 モロキンの長ったらしい話をホームルームで聞かされ、やっと解放される。 「お前さっきの授業、まじかっこよかったよ!さっすがリーダーだな!」 陽介が席を立ち、に絡んでくる。雪子や千枝も彼の席に集まってきた。 さっきの話題で盛り上がっている彼らの話を聞きつつ、はの席へ移動する。 を見上げるに向かって、彼は言った。 「なぁ、。今日これから俺とどっか行かないか?」 「え?うん、いいけど?」 キョトンとしてが言葉を返す。それを聞いていた陽介がはしゃぐ。 「お、どっか行くのか?それなら俺たちも一緒に連れてってくれよー。」 再び絡みついてきた陽介を軽くあしらい、は言った。 「残念だけど、俺はと二人で行きたいんだ。」 「…………え?」 「ちょ………!」 「それってー…………」 「デートっ!?」と3人が叫んだ時にはもう、とは教室を出ていた。 三人はバタバタ教室を出ると、廊下を歩く二人の後ろ姿を眺める。 一条に「今日の部活ー……」と声をかけられたが、断りを入れているところだった。 にぴったりとくっついて歩くを見ると、が不思議との彼女に見えてきてしまう。 「あの二人って………いつくっついたの?」 「し、しらねぇーよ。」 げんなりとした顔をしている陽介を見て、千枝は思った。 (花村ってさ、多分のことが好きだよね?これって……勝ち目ないんじゃない?) そう思ったとき、彼女はひらめいた。 そのまま千枝と陽介の腕を強引に掴むと、にんまりと笑って提案する。 「ねえねえ、あたしたちも3人でゴハン食べにいこ!」 千枝はなんとなく、陽介を応援したかった。 |