テスト最終日、7月23日。
チャイムの音と同時に集められる答案用紙。後ろで陽介の気の抜けた声があがった。
最後の科目は英語だった。それなりにできたのではないかと思う。
テスト後、すぐにホームルームが始まる。モロキンのことなど、みんなもう忘れつつある。
人が死んだとしても、所詮は他人事。人間とは忘れる生き物だ。忘れなければ生きていけない。
すべての悲しみを抱えて生きるなど、あまりにも辛すぎることなのだから……。

「やっと終わったああああー!」

「ふふ、お疲れ様。」

陽介が伸びをして、が笑った。
千枝と雪子は互いに答え合わせをしているが、千枝は間違えてばかりのようだった。
千枝は英語が苦手なのだろうか?

「ね、ね!じゃあ最後の問題は?」

「あー……それ私も分かんなかったから、自信ないの。
一応、3にしたんだけど……。君は?」

「え、俺……?俺は1にした。は?」

「あ、私もと同じかな。確かに雪子ちゃんのも正しいけど、最後のはひっかけだよね。」

「えー!?君もも1ってことは、やっぱ1なのかー!私4にしちゃったよ。」

がくっと千枝がうなだれる。その横で、陽介が笑った。

「ってか里中、4って『彼は肉をむさぼった』っていう答えだったよな?
里中にはぴったりな答えだよ!」

「花村ぁー………アンタテスト明け早々死んでみたいの?」

ギャアギャアと二人が騒ぐ中、暗い表情の1年二人が教室へと入ってくる。
巽完二と久慈川りせだった。
二人の表情から察するに、あまりテストができなかったようだ。
陽介もそれに気付いたらしく、千枝の攻撃をかわしながら呟いた。

「うわ、ここにも負け組みが…………。」

「なによ……なによなによなによ!
英語なんてできなくたって、通訳つけるもん!
英語ができるカレシをゲットするもん!英語なんてできなくたっていいもん!」

「もういいっスよ、テストなんて。
それより犯人どうなってんですかね?先輩、作戦会議しときましょーや!」

完二が半ばぶち切れ状態でに詰め寄る。

「あ、ああ……。じゃあ久々にジュネスのフードコートに…………」

「よっしゃ!じゃあ俺先行って場所取りしとくっス!」

すぐに完二がバタバタとたちの教室を出て行った。
彼の後ろ姿を見ながら、が目を伏せて呟く。

「完二君………よっぽどテストのこと、忘れたいのね。」

そうなんだろうかと、は思った。同時に完二の成績を心配した。
もしも完二の成績が悪くて補習にでもなったら、それは自分の責任かもしれない。
本来勉強する時間を、テレビの中でのシャドウ討伐にあててしまっている。
リーダーとしてここは、完二が補習になったら付き合ってやるか、とは決意した。





***




「………あぁ?容疑者が消えた、だと?」

電話が飛び交う中、堂島は彼の前に立つ足立に問い詰めた。
彼はおろおろしながら頷くだけの足立を睨みつける。
連続殺人犯……かもしれない少年が、一夜で消えてしまった。
お前の出る幕じゃないと、上司から言われひっこんでみればこのザマだ。
警察署で待機をくらい、雑務処理だの何だのしてれば、こんなことになった。

(俺が出てりゃこんなことにはならなかったかもしれないのに………)

堂島は拳を机にたたきつけた。
ガンっ!とけたたましい音が響く部屋の中、全ての人が動きを止めた。
一瞬静かになった部屋の中で、電話の音だけが鳴り響く。
だがそれも、ほんのつかの間の出来事。
すぐに部屋の中は元のうるささが戻ってきた。

「堂島さん、これから僕ら、どうすればいいんでしょう?」

「俺が知るかよ、んなこと!結局俺たちは、お偉いさん方の尻拭いだ!
最初から俺が出てれば、こんなことには………。」

ドカリとイスに座る堂島。
足立はそんな彼をただ見つめるだけだった。
その時、堂島の机に置いてあった携帯が鳴り響く。
ピカピカと光るブルーのランプ。ディスプレイに表示された名前は『湯木省吾』。
堂島の親友だった。

「堂島さん、携帯が…………」

足立の言葉に堂島は顔を上げた。
ディスプレイを確認すると、彼は足立に『席をはずす』とだけ伝えて部屋を出た。
やってきたのは警察署の屋上。
照りつける日差しから逃れるようにして、日陰で電話に出る。

『遼、親友からの電話だぞ?30秒以内に取れよ。』

堂島の親友が電話口で明るく笑った。
つられて堂島も顔がほころぶ。ラッキーだったかもしれない。
このタイミングで親友の湯木から電話がかかってきたのは………。

「すまんな。少し立て込んでて………」

『あぁ。例の死体の事件か?』

「まあ、そんなとこだな………。」

詳しくは話せない。それを分かってて湯木は、堂島には何も聞かない。
『そっか……』とだけ呟いて、そのまま口を閉ざしてしまった。
昔から湯木はそうだった。まるで人の心を読んでいるよう。
だから堂島の妻が死んだときも、湯木は彼に詳しいことは尋ねなかった。

『ま、事件のことは置いておくとして……遼、帰国の日が決まった。
お盆に合わせて、8月12日には稲葉市に帰ろうと思ってる。
けど今回、無理矢理仕事の調整をしたから、14日の昼にはそっちを出なきゃいけないんだ。
俺も香織も、まだ海外で仕事が残っててな………。』

湯木の声がだんだん小さくなっていく。
きっと彼は、に申し訳ないと思っているはずだ。
彼女の家族は、叔父である省吾と叔母である香織だけなのだから……。
そんな二人は、仕事で常に海外に行っている。

「……帰ってくるだけでも、いいと思う。
お前の仕事のことも、香織さんの仕事のことも、はちゃんと分かってるよ。
確かにには、悲しい思いをさせてるかもしれない。
けどあいつはあいつなりに、今を楽しんでるみたいだ。
新しく学校で出来た友達や、俺の甥であると一緒に………な。
大切なのは一緒に過ごした時間の長さじゃねぇーよ。
一緒に過ごしたときに、どう楽しい思い出を作るかってことだ。」

堂島は空を見上げた。
ここから遠く遠く離れた空の下で、湯木は同じように携帯を耳に当てている。
彼の今の表情は分からないが、堂島は何となく、湯木が今どんな表情をしているか想像できた。
きっと小さく、笑っている………。

『そう、だな………。
先にお前に電話してよかったよ。じゃあ12日には香織と一緒にそっちに戻るから。
これからにも電話するよ。』

「おう、そうしてやれ。のやつ、喜ぶと思う。」

堂島も表情を和らげる。しばらく静かな時間が流れた。
遠くでジェット機の音がゴーっと響く。
夏らしい入道雲を見つめていると、電話口から湯木の言葉が漏れた。

『なあ遼。この前のペルソナの話、覚えてるか?』

一瞬堂島には何のことか分からなかった。
しばらく記憶を辿り、やっと答えにたどり着く。
確かこの前の電話で教えてもらったこと。が昔呟いたという言葉。

「あ、ああ。がポートアイランドに行ったとき、長い鼻の老人にペルソナをもらったって話だろ?」

『あのあとペルソナの意味が知りたくて、いろいろ調べたりしたんだ。
で、ペルソナっていうのがラテン語っていうのを知って、スペインの友人にペルソナのことを尋ねた。
ペルソナっていうのは"仮面"を表す単語らしい。
その友人が言うには、人々はさまざまなペルソナ……つまり役割を持ち生活してるらしい。
父親の役割だとか、課長だの部長だのの役割、友人としての役割……。
俺たちは常に、その役割のペルソナをつけているんだ。』

は"長い鼻の老人に、ペルソナをもらった"と言った。
それは言い換えれば、長い鼻の老人に"役割をもらった"ということになる。

『ま、こんな話、今更お前にしても意味ないけどさ。
何となく、お前には知っててほしかったから。
どうしてか分からないけど、この先ペルソナって言う言葉が重要になってくるような気がしてな。
それじゃそろそろ電話切るよ。遼も仕事中だろ?悪かったな。』

電話の向こうで、湯木が笑う。
堂島も短い挨拶をして通話を切断するボタンを押した。
じっとりと嫌な汗が背中を伝う。
堂島はタバコを一本取り出して口にくわえた。
けれども火はつけず、そのまま………。

………お前は一体、何の役割をもらったというんだ?」

答えは生まれないまま、聞こえるのはジェット機が飛ぶ音だけだった。






***




ジュネスのフードコートで、作戦会議をしているたち。
最初は真面目に話をしていたのだが、テストの話に切り替わったあたりから、
会話は変な方向へと流れている。
りせの大胆な発言と、それに冷や汗をたらす千枝と雪子。
そしてジュネスでバイトすることになったクマをからかいにみんなが席を立った。
もクマのところへ行こうと、最後まで席に残っていたに声をかける。
その時だった。の携帯が鳴り響く。
携帯を取り出してディスプレイを見た瞬間の彼女の表情を、は見逃さなかった。

とても、可愛く笑うのだ。

いつも少しだけ大人な表情のが、子供の顔に戻る。
には一度も見せたことのない表情だった。

「しょうご……おじちゃん…………っ!」

彼女から紡がれた第一声は、の叔父の名前。
電話をしている間のは、ずっと子供のような甘えた表情で……。

「そ、それじゃ……帰ってくるのね!」

『少ししか、そっちにはいられないけどな。』

「ううん!私はそれでもいい!おじちゃんとおばちゃんに会えるなら……!
ちょっとだけでも、一緒に過ごせるなら!」

話の流れから、の叔父と叔母が日本に帰ってくることを知った
通話を終えた彼女は、電話を見つめにっこり笑っていた。

「………のそんな子供っぽい顔、初めて見たよ。」

彼女を見つめ、は静かに声をかけた。
は「えっ……?」と声を上げたあと、恥ずかしそうに笑う。

「うん、そうかもね。私にとって、あの二人はお父さんとお母さんの代わりだから。
だから……ちょっとだけ、甘えちゃうの。」

少し赤くなった顔を伏せるようにした
は小さく息を吐くと、の頭に優しく手を乗せて呟いた。

……言っただろ?いつでも俺を頼っていいって。
それはつまり……俺にも甘えていいってことだ。」

それだけ言うと、に背を向けてクマのところへ歩いていった。
彼の手が乗せられた部分を触りつつ、はキョトンとする。
でもすぐに彼の優しさが分かって、は少しはにかんで呟いた。

「本当に………甘えていいの?…………。」

クマやみんなと笑う彼の姿を見て、に小さく生まれた感情。
温かく、そして少しだけ苦しいもの。






#42 わたしはその感情を知っている