上田城城主・真田昌幸には、二人の息子がいた。 真田信之と、真田幸村。 兄の信之には、本多忠勝の娘・稲姫が妻として迎えられている。 二人は仲むつまじい夫婦であった。 一方、幸村には妻と呼べる相手はいなかった。 彼は朴念仁であり、部下のくのいちの想いにさえ気付いていない。 周りから見れば、くのいちの態度なんてあからさまなのに………だ。 そんな彼に、縁談の話が来たのだ。 幸村はいつものように、父親である昌幸に言う。 今はそんなことをしている時ではないのだと。 「幸村………。まぁ、お主がそう言うことは予想していたが……。 でもとりあえず、会うだけでもしてみたらどうだ?」 父親っ子な幸村は昌幸にそう言われ、断ることができなくなった。 まぁ、面と向かって自分の気持ちを伝えれば、相手も諦めるだろう。 そんなことをぼんやり考えながら、いつものように幸村は槍をふるっていた。 そして訪れた見合いの日。 相手は信濃に住まう一武将の娘。名前は。 鮮やかな着物に身を包み、薄く化粧した女子。 幸村よりも三つほど年下な彼女は、まだ幼さが抜けきっていなかった。 けれども堂々とした態度は一輪の花を思わせる。 幸村は見合いの席ですぐに目を奪われた。 「にございます。」 丁寧にみつ手をついて頭を下げる。豊かな黒髪が零れ落ちた。 ぼうっとしていた幸村は、父親に肘でつつかれ慌てて頭を下げる。 「真田、幸村にございます。」 の顔が上がった。艶やかな唇が、「幸村様……」と名前を繰り返した。 その瞳が、妙に美しく感じる。 「ではこれにて」と、双方の両親が部屋を出て行っても、二人は沈黙を守っていた。 最初に沈黙を破ったのは、のほうだった。 「………幸村様、急な縁談の話、どうも申し訳ございません。 幸村様は戦場にて大変活躍している武将のお一人だとお聞きしています。 そんなお人に、妻を迎えることなど……邪魔なだけですね。」 曖昧に笑う彼女。幸村はそこでなぜか肯定はできなかった。 「いえ……」と彼女の言葉を否定する。 幸村は自分でも驚くくらいの言葉を紡いだ。 「私は、別にそんなこと………。」 「え?」と大きく相手の目が開かれる。 真っ赤な顔になった幸村は、小さく「御免」と呟くと、障子を開いた。 開いた障子から、上田城の庭がのぞく。 はらはらと散っていく桜の花びら。満開だった。時折、静かに鶯が鳴く。 ほーほけきょ………。 けきょけきょけきょ………。 そんな静かな世界で、二人は再び無言を守った。 幸村の頬を、暖かな春の風がぬぐっていく。 最初は会ってすぐ、断ろうと思っていたのに……彼女の姿を見てから、なぜか断れない。 彼女を諦めることに、未練が残る。 (どうするべきか…………。) そんなことを考えていると、ふと隣に人の気配がする。 少し首を横に向ければ、幸村よりも背の低い彼女が立っていた。 庭先の桜を見つめ、ぽつりと言った。 「人間の命も、あの桜の花びらのように儚いものなのでしょうね。 短い間に美しく咲き、季節が終わるころ、潔く散りゆく……。」 けきょけきょけきょ………。 鶯の鳴く声が、どこか遠くに聞こえた。今聞こえるのは、の言葉と息遣いだけ。 幸村はの視線を辿り、庭に植えられた大きな桜の木を見つめる。 ああ、あれは確か、子供の頃兄と一緒に登った桜の木。 あれから月日が流れ、こうして私も大人になった。 妻を迎えられるくらいに………。 「殿。」 「何でしょうか、幸村様。」 幸村は彼女に視線をうつさず、桜を見つめたまま言った。 「もしあなたさえよろしかったら………私の妻になって頂けないでしょうか?」 顔が火照る。こんなにも緊張するものだろうか?妻を迎えるというのは。 兄上も、同じ経験をしたのだろうか? 彼女の沈黙が、どうにも居心地悪かった。返事がないのがもどかしい。 視線を桜の木から彼女にうつした瞬間、瞳に飛び込んできたのはの笑顔。 「私で………よろしかったら………。」 幸せそうな表情をするに、幸村の緊張はどこか飛んでしまった。 そっとの肩に手を置くと、彼女は幸村との距離を少し縮める。 春の暖かな日差しを受けて、二人はじっと、上田の庭を見つめていた。 |